人がふさわしい魂を相手に得て、その中に言葉を知とともに蒔いて植えつけるとき、
その言葉のもつ種子からは、また新たな言葉が別の新たな心の中に生まれて、つねにそのいのちを不死に保つことができるのだ
『パイドロス』(276A,E〜277A)
”プラトンの哲学” 藤沢令夫 岩波新書 より
言葉に魂がこもった状態、あるいはその魂を言霊と呼ぶのであれば、言葉には魂の入ったものと、入っていないものがある。
それを池田さんは言葉を大切にしろ、言葉はただではない、考えた”自分の”ではない、真理の言葉を口にせよ、と教えた。
”2001年哲学の旅”で、”池田の読者の皆さん、藤沢先生の著書を読んでください”といわれたから、というわけではないのだが、ではなく、文字通り言われたからであるが、”プラトンの哲学”を購入した。
それにしても、紀元前からこれほど膨大な文章が残っていることに、非常に驚きを感じる。そして2500年前から、文章から感じることは、今の人間が感じていること、社会生活と、寸分違わないのだ、ということは、これも池田さんから教えられたことだ。
それまでは、日本の歴史から漠然と、紀元前はどちらかというと未開の人類、原始人、というように感じており、西暦が始ったころからようやく少しずつ今のような形になってきた、と感じていた。
それはたとえば、そのころからのこっている絵や創造物の古びよう、朽ちよう、といったものから受ける印象、特に紀元前のものからは、想像力を断絶するような違いを感じることが多かったからである。
しかし考えてみると、たとえばギリシャの彫刻、どれが古くてどれが新しい像なのかは今ひとつ把握してはいないものの、今でもデッサンの練習ではギリシャ像のレプリカで行うではないか。そしてそれは現在のどんな彫刻と比べても、遜色のない完成度と真実味を持っている。
そのころのギリシャがある意味特別であったのだろう。しかし、そのころのギリシャの人々が今の表現手段を付与されたなら、必ず素晴らしい成果を生むであろうことは間違いないと思える。
そういう意味では、人間は何に進歩したことになるのだろう。確かに月へは行くようになった。海外へも行ける。経験という意味では幅は広くなった。しかし、見ることができるのは一度に一つだけ。京都の人、伊藤仁斎が初めて大阪の海を見たのは50歳を過ぎてからだったという。経験とは何か。本質的に人間は変わっていないのではないか。いや、むしろ生物としての能力は限定的に、集団でしか生きることができなくなっているのではないか。
土曜、日曜を経て、月曜を忌諱する気持ちと、働くとこを面倒だと思う気持ちは同根である。
どちらも、眼の前の、この瞬間瞬間を楽しんでいない、ということから発生する気持ち。本当に生きていない、生きることの不思議を生きていないから。そんな風にふと思った。
BOOK OFFで池田さんの本”人間自身 考えることに終わりなく”初版オビ付き美本をなんと105円で購入した。2007年の発行のこの本が105円に落ちてくるとは。
嬉しい、のであるがちょっと複雑でもある。なぜか。2冊目だから。ダブリを承知で、余りにも安いから、そしてこの本がこのように扱われているのがなんだか見過ごせないような気持ちになり、思わず購入したから、である。
更にそういった風で”救出”した本は、2冊目、前は”新・考えるヒント”であった。
ここのブコフでは、ハードカバーの"考える人”も入手しており、池田さんの本を入手しやすいところであるのだが、なんだか扱いが悪い?ような気もする。
安く手に入れてて、あつかましい意見なのであるが。。。
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