大晦日だ。
本年3月に引っ越して、初めての自宅で迎える正月である。
借家人根性丸出しで、社宅の掃除には身が入らなかったのだが、自分の家だと思うと、少しは力の入り方が違うというのも我ながら人間ができていない。
とはいえ、築16年の中古住宅であるので、すでに少しは汚れている。のだが、ガラスを磨くと結構ピカピカ。石畳というには小さい門周りも、タワシでごしごしすると結構綺麗になる。からだは動くが、考え事はできる。2階のガラス戸が2重であることは掃除して初めて気がついた。バロック音楽などを聴いて、結構天気も良く、なぜだか自分が修道院に居て、掃除をする時間にある、などという連想が湧く。日本人なのに。
安藤美姫のコーチである、モロゾフ氏が、日本人はスケーターをアイドル扱いしすぎる、と苦言を呈していた。日本人のそういったどうしようもなくそうなってしまう感が嫌なのだろう。個人で挑戦しているのだ、基本的には放っておいてくれ、と。よーくわかる、が、無理だろうなあ、と感じる。
そういう感覚はいったいなんなのだろうか。
ひとつはやはり、今世界に伍して戦えるほとんど唯一に近い競技であること、見せる要素が強い競技であること、(最近は男子もいいが)若い女性の競技であること。
そういう要素からすると、フィギュアを見る人は(自分も含めて)スポーツを見る、という要素以外のアイドル性の追求が非常に大きい。
しかしやっている本人は、特段見せようという意識はないのかもしれない。世界レベルになるとついてくる注目。つい日本のためがんばります、などというが、競技をスタートし、継続している動機は、基本的には自分のため、ということに尽きるのだろう。
そのあたりのGAPの処理が結構大変で、それがいらだちにもにたコメントとなってくるのかもしれない。
いずれにしても、知名度があがるのは面倒なことだなあ。
まあ、自分の場合はありえないのだが、たしか池田さんも、”私程度の知名度でも結構大変”とどこかでおっしゃっていたような。
世間、ってやつは、大変ですな。。。
世間、マスコミ、という事では、池田さんの”そのときあなたは何を食べた”にて、マスコミは出歯亀の親玉ですからね、とおっしゃったことがずーっつと心に残っている。
自分で感じていたことを、ずばり的確に示されていたからだ。自分を差し置いての正義は必ず自分に帰ってくる。”天に唾する”ということわざを作った人は、そのことを明確に感じていたのだろう。
自分は脇において、批評だけをする、といったことが無いようにしたい、考えるときには、と思って本年を過ごせただろうか。
年の瀬に1年を反省し、来年も”悩まずに考えたい”ものである。
ささやかな自分なりの来年の抱負、であろうか。