夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

口パク。

今日は中国オリンピック口パク問題について考えてみたい。

この件を聞いて感じたことは、まず実も蓋もなさである。

論調を見るに、
①そもそも騙されたことがハラ立つ。
②少女を容姿で選別するとは何ごとか
 子供はピュア、歌がうまい子も十分子供らしくかわいい

といったところか。
中国の人は、①をベースにしつつ、②の内容をネット等に書き込んだところ、中国当局は書き込んだサイトをどんどん閉鎖、という流れもあった。

歌、自体への中国人民の思い入れ、もあり、歌自体を辱められた、という部分もあるようだ。


以上のように把握してはいるが、この話を聞いたとき、個人的にはあまりハラ立つ、ということはなかった。
何でみんなそんなに怒るの?という感じを持った。

なぜ個人としてそう思うのか、を考えたが、
それは自分が所詮開会式は演出、と思っているということが大きいと考え付いた。
僕はアニメ世代。アニメでは、できるだけかわいいキャラを描いて、一番良い声を当てる。当たり前だし、必要な行為だ。
もちろん子供なら、かわいさより素朴さをねらうこともある。だがそれは意識的にだ。
その考えでゆけば、一番かわいいのと、一番声がいいのをあわせて使いたい、ということになる。

ただ、オリンピックというものが持つ性格と、最後まで隠しとおせないリスクがあるなら、危険な要素があるだろう。

少女の場合、一般受けするかわいさではない、”世間ずれしていない”純朴さを良し、とする趣味も考慮にいれとくべきか。

このあたりのリスク、読み間違えたんだな、という感想があるくらいである。

まあ、中国、所詮そんなこともたくさんあるだろうな、というあきらめもベースにあるのだが。

とにかく、この件、身もふたもない本音が隠せずばれておたおた、という図は、まあなさけないですけどね。