読売新聞読書欄、”ポケットに一冊”コーナ。
朝日新聞の”素粒子”欄での鳩山法相”死に神”発言に対し、「死」を引き受けなければならない人間に対し、あまりに心無い言葉である、とのコメント。死刑の是非にかかわらず。
宮崎元死刑囚と同時に執行された陸田元死刑囚のことを、考えてきた身として、この”死に神”騒動は、気になっている、言葉は変かもしれないが、”ヒトゴトではない”という感じなのだ。
絞首刑となった囚人の体を階下でささえる仕事である”支え役”を、32歳の子持ち女性との新婚旅行の為の特別休暇を得るため買って出る35歳の刑務官。
”掌(てのひら)に、死刑囚の体温が膠のようにこびりついていた”
死刑を執行する刑務官は4人が同時にボタンを押し、誰が実際に執行したことになるかがわからないようになっている、ということを聞いたことがある。
しかし、その他に死刑囚の体のしたで支える役を行う刑務官がいるのである。
考えたらあたりまえだが、この仕事もまた、重い。
自らの「生」のため、実感としての重さを持って「死」を引き受けること。
中国では、死刑になる囚人が、払う金によって楽に死ねる弾丸か、苦しんで死ぬ散弾かを選べる、ときいたことがある。
確かに、社会情勢の要求から、急いで、”世間的に著名な”、いってみれば”死刑を執行しましたよ”と世間に大アピールするような死刑囚の刑を、執行した面はあるのかもしれない。
しかし、その指示をする、ということは、やはり一人の人間として、とても重たい仕事であるのだ、と、思った。
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