消音機能付きのヘッドホンが売れているとか。
池田晶子さんの場合は、イアーウィスパーだったような気がする。
人ごみの騒音が耐えられない、ということだが、”うるさい日本の私”の著書がある哲学者の中島義道氏も、同じように日本の騒音の多さに閉口しておられる。
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/11
- メディア: 文庫
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翻って自らはどうであろうか。まずは”ながら族”である。日本語だと聞いてしまうから、聞いても意味が残念ながら頭に入ってこない洋楽や、クラシック中心であるが、なにか音がほしい。
また、池田さんや、中島氏が耐えられないとおっしゃる駅や人ごみや病院の雑音には、特段意見が出てこない。
なぜだろうか。
現在までの結論は、自分がこの瞬間にどれだけ本気でチャージしているか、の差が出ているのでは、ということだ。
残念ながら、池田さんや中島さんのほうが、この瞬間、この時間を大切に、真剣に、関わって、モノを考えているから、それを邪魔する外界の騒音に耐えられないのではないか、自分は、その時間はスルー時間、ぼんやりやり過ごす、いわば消費の時間というふうに自分の中で決定しているから、外界の音で邪魔され活動に影響が出ることがないからイライラしない、ということではないのか。
有限なる時間に、本気でガップリ四つに取り組んでいるご両所は、やはり思考の大先輩である。
思えば数十年まえの高校生のころ、試験当日の朝4時ころは、何も音を聞かず、必死でノートに取り組んだものだ。
本気かどうかはともかく、擬似本気くらいのモードに入れば、音はやはり基本的にはうるさくなる。
外界の音がうるさくない人生、あんたらそれで本気で人生生きてるといえんのか、というトコロが、外界がうるさいと表明されるこれらの先達からの、裏のメッセージ、なのかもしれない。
耳がいたいなあ。