フィヒテが哲学が哲学者に対して要求する第一のものをこういった。
「君自身に還れ。君のそとにあるものすべてから目を向け変えて、自分の中へ還れ。これが哲学というものが哲学者に対してするところの第一の要求だ」。
フィヒテによれば、哲学には2つしかない。
要するに、人間には時間空間を超えた自己への感受性の有無が根源のもの。
「人がそういう哲学を選ぶかは、その人がどういう人間であるかによる」
人間の性格の類型はたくさんあるけれども、つきつめたら人間には、自分は時空をはみ出している存在だという感受性を持っているか、自分とは時空の中の物体だとおもっているか、この2種類しかない、という意味。
P17-18
君自身に還れ 知と信を巡る対話 大峯顕 池田晶子 より。
今朝この本のこの個所を再読してみた。
昨日京都からの帰り、往きは書いたように川上さんの小説の感想を考えたが、帰りはヘッセの”知と愛”の後半部分を一気に読み終わった。
知と愛、この対比は、まさに大峯さんがいう(というかフィヒテのいう)2つの人間類型の明示と、その類型同士のつながり方のありよう、を描こうとする小説であった。
そして、基本的には時空をはみ出し、愛を求める人格が、より魅力的である、というのが結論であるのだろう。
それを仏教では菩薩と言い、哲学者は詩人と言い、ヘッセにとっては芸術家であった。
そんな風な、芸術家であり、詩人であり、菩薩であることが、人間の、もっともあらまほしき姿、であるのかもしれない。
そんな気がいま非常にしてきている。
- 作者: 大峯顯/池田晶子
- 出版社/メーカー: 本願寺出版社
- 発売日: 2007/03/10
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
- 作者: ヘッセ,高橋健二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1959/06/09
- メディア: 文庫
- 購入: 7人 クリック: 28回
- この商品を含むブログ (33件) を見る