夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

人工ボイスと構内放送。

最近は土日を含む在宅の昼食はパスタが多くなった。

土日はチートデイとしているのだが、そしてパスタの小麦は比較的いいのだが、グルテンフリーには勿論ならない。

べつにグルテンアレルギーではないし、ジョコビッチのように限界へ挑戦するとぶっ倒れる、ということも無いわけだが、なんとなくグルテン抜きだと調子が良い気がする。

炭水化物という意味では、ライスも少な目にはしている。できる場合は雑穀米や玄米を選ぶ。

まあ、それほど厳格にならずに方向性としてやっていこうと思っているが、やはり体重との兼ね合いで微調整してゆくこととしよう。

最近は昼食抜きでやっと体重KEEPという感じなので、やはり食べ過ぎには気を付けようとは思っている。

さて、人工ボイスについて。

 

気が付くと駅のアナウンスは人工ボイスが増えた。前はいろいろな本来はアナウンスを本格的に学んでいない人びとの声を聴き、自然とそのバリエーションを楽しんできたが、その楽しみは減ってきた。デパートなどでは独特のイントネーションでの案内も楽しんでいたが、それもいまはどうだろう。

新幹線は面白い。いつの間にやら車内放送で英語もしゃべるようになったが、これがイマイチというか、基本英語勘弁してください、という人のものと、英語アナウンス任せろや!という気合が伝わる人とのコントラストが面白い。

まあ、聞き取れないほど速いひとはいないが、それでも相当こなれた人もたまにはいる。だがこれは帰国子女級だな、と思うほどのひとは案外いないようだ。

たまにこれはアナウンサー的な印象に残る声質だな、という人もいる。私は近鉄ユーザーだが、基本関西弁しかしゃべられへんのに、なんとか標準語っぽくしゃべらんとな、という苦労が水の泡の方々のアナウンスも多く聞こえ、なんだかほほえましい。

(近鉄で関西弁でない地域はたぶん名古屋あたりのみ??)

私が子供のころは、だれも標準語っぽいイントネーションの子はいなかった。いまは聞くところによると、関西在住だが標準語をしゃべることができる若者が増えた、ということだ(ほんまか??)。

まあ、私は幼少時のひきこもりでマンガや特撮ばかりを見ていて、自然に標準語(と知らずに)標準語が装備されていたものだが、似たようなパターンが増えたのかな、とも思っている。

(人工ボイスはどこか失敗しているイントネーションでわかるものですが、だいぶこなれてきましたね。これもディープラーニングでしょうか。。。)

片山廣子と芥川龍之介と夏の蚊について。

夏も終盤の感じである。体感ではそれほど暑い日が続かなかった、と思っていたが、どちらかというとはじめに暑く、後半で雨が多い、という感じだろうか。

私は汗かきのせいなのか、蚊によく「噛まれる」。普通は刺される、か喰われる?という言い方を使うと思うのだが、私の地元、あるいは我が家、あるいは母親?はそう言っていたので私もそう言っている。

まあ、噛むというと顎がある感じだが、蚊は突き刺す系なのでおかしいといえばおかしい。ただ「吸血」という行為はいわゆる吸血鬼は首筋に噛みつくわけで、そういう連想はある。

で、昨日の新聞で、温度があまり高いと蚊が羽ばたけず叢で休む、という記事を読んだ。血液型信者(よく血液型は迷信だという意見を耳にしますが、実感では特にこの日本では血液型による性格傾向はあるような気がしています。血液より激しい違いがある人種が入り乱れる海外ではたしかに血液型では判断が難しいでしょうが)である私は、AB型なのでより「噛まれる」と思っているが、これは「血液ドリンク」を飲む蚊さんたちが、血の味を選別しているイメージだ。この味は美味だな、という微細な違い(笑)。

まあ、熱すぎて蚊が少ないというのは個人的にはありがたい。とにかく隙あらば噛まれているので。

ーーー

引き続き片山廣子の評伝などを読んでいる。芥川龍之介自死する1か月前に堀辰雄と共に片山宅を訪ねているという。その時廣子は芥川の態度の鋭さを感じたというが、芥川自身は今生の別れの決意を密かに秘めて廣子に会ったのであろう。

三島由紀夫もしかり、自ら秘めた自死の決意がある人は、今この出会いが今生(この今生という言い方は考えてみれば輪廻思想から来てますね)の別れであると自身の中では思い感じている。だがそのことを口にしない限り、ひそかな別れを受けた人はその会合で当然ながら相手の気持ちはわからない。

わからないが、多分「なにかを感じる」あるいは「感じていた気がする、後になって」。

そうかあの時あの人は密かに別れを告げていたのか。

 

廣子は芥川の自死を知り、彼の厳しく激しい瞬間と自身の穏やかで平凡な日常の瞬間との落差を感じ大きな衝撃を受ける。

おいて行かれた、あるいは伝えてくれれば、という感じか。

勿論片山と芥川は互いに惹かれていようが、一緒に死のう、という感じの関係ではなかったであろう。ただ、芥川から廣子への手紙は後に廣子の娘が処分しているので、それは文学的邂逅資料だ、と野次馬的に思うより、後世の両者への評価を斟酌しての、自身も著作を行っていた廣子の娘の苦しい、だが確信を持った行為であったのだろう、と思っている。

つまりは、やはり大変お互いに惹かれていたのだろう。だが「芥川の最後の恋人」という表現にはすこし違和感を感じる。綺麗すぎるかもしれないが、「芥川最後の想い人」とでもいおうか。

芥川が軽井沢で廣子と会ったとき、2年前に夫を病気で亡くしてはいるものの、長男と長女を伴っての滞在であった。長男の達吉も、芥川全集の会報に芥川との初めての出会いの思いでを書いている。

想像するしかないが、夫を亡くした母、それより10歳以上歳の若い天才的小説家。彼らがどうしようもなく惹かれあっていることを、子供である彼、彼女らはどのように感じたのであろうか。

複雑であろう。だが、やめてくれ、とも言いにくい。母の思いを大切にせねば、という義務感。なくなった父の子でもある「われわれ」から半分離れてしまう、というような理不尽な気もする喪失感。

そいうものがあったのだろうとも思う。

 

廣子の死後、娘の聡子が廣子の遺品である芥川からの手紙を焼いたのも、そういういう複雑な思いがあったのであろうと思う。

というか、それが実はすべて、なのかもしれない。

(母の廣子もそれを感じていたのでしょうね。。)

思えば遠くに来た、のか?(笑)

今朝は体重64KG,体脂肪11.4%。本当は体脂肪ジャスト10%を目指したいところだ。だが盆休み明け久しぶりにトレーニングを行ったので、気分がいい。あまり長時間無呼吸トレーニングをやるとよくないということなので、余りだらだらとはせず、早めに追い込むようにしている。

私事ながら近々仕事が変わる予定である。住む場所も変わる予定だ。何度か勤務地を変えてきたが、6回目の転勤となる。

生れは神戸であるが、神戸でも生まれた場所(記憶はない)は明石の天文科学館そばであったらしいが、その後2回転居した。実家は私が出てからも1度転居して今は須磨にいる。夏休み前に実家で母親と話していると、「わたしは引っ越しがすきやから」、と言っていた。私個人はどちらかというと引っ越しは面倒(とにかく本が多すぎる)なのだが、まあ出稼ぎと思えば仕方がない。

仕事とと人生、というのは大きなテーマである。自分で将来に向けて安心して働けるのがベストである。最近この項でもよく取り上げる勝間和代さん、性格は全然違うのだが、私の調整者、外交官的性格と勝間さんの性格は違いすぎて合うという。勝間さんのおっしゃるいろいろなアイデアは、大変参考になるし、本音の意見は結構似ているので、そういう面では勿論直接お会いしたことはないが、よき先達として尊敬している。

まあ、私はこれまでずっとサラリーマンである。サラリーマンしかない、ということで選んだ。文系であるので、本当は自分で何かを創りたい、という感覚があったのだが、広告代理店は2つ落ちて、メーカーに広報志望で入った。

志望は広報であったが、営業に配属だ。とにかく算数が苦手なので、配属は経理だけはやめてくださいと頼んだ。総務がいいなあ、と思っていたが、営業になった。

私はいわゆる運動神経ゼロタイプだ。算数とボール競技が2大ダメ科目だ。どちらも取り組めといわれると恐怖を感じる。一方で国語は大好きだ。これは多分幼少時、外に行くとわけのわからない幼児にいじめられるので、部屋に閉じこもって本ばかりを、そしてそれほど潤沢には本がなかったので、持っている本を何度も何度も読んだ結果だと思っている。

これが外を走り回っていた人は違うのだろう。草野球にゴルフ。集団競技に馴染んで、いろいろと成人後もうまくやっている感がありうらやましかった。

だが、それは無理である。算数は会社に入ってからはそれほど接する機会ないし、ボール競技もゴルフを必死でさければそれほどはない。

自分の内向的で一人になりたがる性格では、いわゆるサラリーマンには向いているわけがない、というのが高校時代の自己評価であった。大学に入って出版社に入るのが高校時代の目標であったが(早川書房が第一目標(笑))、地方大学に行ってしまうとその夢も勿論かなわなかった。

大学ではマンガを描いた。だがそれでは会社に入ったらまたきつくなる、という推測から、運動部にも入った。フェンシング部である。私は格闘技好きで、鍛えることは大好物であったので(=一人でできるから)、少しだけ格闘(決闘)要素があるフェンシングに好感を持っていた。手塚治虫リボンの騎士がメチャクチャ好きであったので、それが実は影響しているのは、ここで今初めて書いている(少女趣味といわれるのが恐ろしかった)。

運動部はいわゆる同好会ではない、体育会(学友会といったが)であったので、先輩後輩、コンパ等で鍛えて頂いたことは本当にありがたかった。飲み会での数々の修羅場は、後の営業経験で自身の勝手な引き出しとして、本当に役にたった。

外国人との営業では特に役に立った。とにかく向こうも日本人はわけがわからない、という感じであるので、とにかく酒で腹をわった感じを持つ。本当に割れているかはともかく、酒を飲むのは仕事の一環であった。

なんとなく、新たな仕事に変わる前ということで、来し方を振返っている。「思えば遠くにきたものだ」とすこし感じるのは、27歳と28歳で刑死と結核に斃れた吉田松陰高杉晋作の生涯に触れたからかもしれない。

(まだまだ遠くに行くつもりですが(笑))

他人を攻撃することは、安易に自己肯定感を得ることのできるチート技である。

学校というのはいろいろ難しい。

私は小学生のころ、親が「この子は中学校ではいじめられるんちゃうか」と感じてくれ、自分自身でも「僕中学校いったらいじめられそうや」と思っていたことで思惑が一致して、たまらない受験勉強もびびりの一念でなんとか突破して中高一貫の男子校に入った。

そもそも別にいい大学に入ろうという意図は皆無であった。とにかく「いじめられそうや、やばい」の一念であった。

結果的に受験校であったので、とにかく算数が大嫌いすぎて困ったが、なんとか暗記(暗記力も非常にプアだが算数力よりは上)でとにかくわからずとも答案になにかを書きまくる、という技も使いつつ、なんとか文系大学に滑り込んだ。

全びびり力全開でも実質学力では地域一番校にはまったく歯がたたなかったので、地域5番校ぐらいであった母校にいくことになった。

通学になんと片道2時間かかったが(1年目は遠すぎて寮にはいったが、いじめではないが4人部屋がつらくて病気になったので通学に切り替えた)なんとか6年通うことができた。

学力はとにかく学外の試験とかで客観性を大事にする学校であったのだが、聞くところによると一般の学校では偏差値、つまり周りの学生との比較が中心であり、とにかく周りの学生が学力低下すればいいわけであるので、勉強を邪魔したり、なんだかんだで客観的な日本の学生の学力がどんどん下がっていった、ということをあとで聞いた。

人を貶めることで、集団のなかでの自身が安定する、という感覚はわかる。生贄がいる限り自分はその瞬間だけはOKだという奴だ。

だがなんとも残念な気持ちはみんな実はわかっているし、嫌である。なんとも人付き合いは面倒だ、ということになるだろう。

これがイジメである。勉強が主な尺度である「受験校」はそれほどそういういじめは少なく、また男子校でもういろいろ諦めていたので、まあ、シンプルな生活ではあった。

集団ではなくとも、例えば芸能人の不倫をたたくのは、自分は正しい、という感覚を安易に得られるが為であろう。芸能人になる、ということはそういう生贄になることと、いまだにニアリーイコールだ。

だがそういう世界観は個人的にはちょっと残念であるように思う。不倫はよくないかもしれないが、それはその人にとっての良い悪いなので、関係ない人が意見をするのは、個人的には残念だし、結局は自分の感覚の為である、ということを自覚するのがいいと思っている。

まあ、そうしてけなす空間をつくることで、みんなが不倫しにくくなり、巡り巡って自分のパートナーが不倫しにくくなる、というバタフライエフェクト的な効果もある、という意識が少しある点も、考慮する必要があるかもしれないが。

(フランス人が不倫に文句を言わないのは、私もあなたもするかもね、という空間だからでしょうね。。)

ストレスとの付き合い方。

盆休みが終了してから一日目は在宅勤務であった。

最近のコロナ蔓延から再度在宅目標全員50%という指示があった。最近は週1での在宅であったので、50%と言われると週に2-3回は在宅となる。

休みと在宅は似たようなものかと思うのだがやはりそうではない。

まずは四六時中時間を意識する。この時間までにどうするか、という意識が発生するのだ。

この意識は脳のメモリーを喰う。メモリー使用が対価を生むのだ、と今朝理解した。

電話がかかってくるのでは、という意識がまたメモリーを喰う。営業だと土日もそういう意識がある場合もあり、そこへの対価が明確でないのはどうか、という議論がある。

まあ、いわゆるサラリーマン、受け身での仕事に典型的な意識ではあるだろう。だが推測するに請負や個人事業主でも大きな違いはないであろう。

違うと思われるのは、純粋なクリエーター。たとえば小説家だが、これも中長期で筆一本でやってゆけるのか、という心配がメモリーを喰うだろう。

そのことが一応は保証される「安息日」、仕事が「宗教的に」禁止されている、と言える仕組みは、ある意味そのあたりを考慮して発生しているのかもしれない。

(ここ日本では安息日、という仕組みはありませんね。神というものが明確にいないということとのバーターでしょうか)

考える未来とは過去の経験からのバリエーションにすぎない。

タイトルの言葉は、”それ”は在る ヘルメス・J・シャンプ著 P.156より引いた。

あなたもわたしも、なんならこの次元もあの次元も宇宙も宇宙以外の部分(膨張しているとして、その膨張する先にある「膨張に必要な空間のような無」も含めて、全てが一である、という思想はとても魅力的である。

そういうことを考えるのは茫洋としてはいるが一面不安でもある。だいそれた?そんなことは考えてもしかたがない??

などと多分エゴがささやき勝ちだ。

そんなことより今生き延びることを考えよ。

そんな命令もエゴからであり、それは多分正しい。

 

だが正しい、とはなにか?生物として生命をできる限り先延ばしにすべく自らの資質を投入して「世界」で「奮闘」すること。そのように定義できるのかもしれない。

だが、司馬遼太郎の「世に棲む日日」、吉田虎次郎松陰や高杉晋作の生涯とその気運をあらわす書のこのすこし奇妙な題名は多分、

天からあなたという精神がこの「世」にいる期間と機会を与えられたのだが、その精神(達)がどのような日日を過ごしていたのかを記す書である、という意味なのだろう、とやっと全4巻の4巻目を読んでいて気がついた。

世に棲む、ということは、世以外にも棲んでいるいる、ということだ。井筒俊彦司馬遼太郎が知り合いで会談していることを知った。神秘学の泰斗である井筒の醸し出す思想は、そう、そういう感触ととても親和している。

多分、題名はそういう意味で間違いがない。2名、魂が一つのものでありただ便宜的一時的に分かれて在るのであれば、吉田松陰も、高杉晋作も一個の潜在的深層心理の一つのあらわれに過ぎないのだが、主に「2名」の運命を書いたこの小説に、この題名ほどわかりにくくもふさわしいものはないだろう。

それを「松陰と晋作」などというわかりやすさに堕落していないところがまた、司馬遼太郎がこうして「国民的作家」と称される理由の一つだろう。そのことを知れば陶然とする。そんな題名を付ける作家であるのだから。

(幕末は知れば知るほど今の時代への影響に思いが馳せます。下手をすればあなたも私も今ここにいなかった、という足下に暗渠があるような怖さと共にです)

 

世界が一つだという意識はごくごく最近のものだと気づく。1985年頃からか?

今朝は体重64.2kg、体脂肪率11.4%。昨日はほとんど歩かなかったので体脂肪率が上がったが、では本当の体脂肪率ってどこの値なのだろうか。

井筒俊彦「意味の深みへ」を岩波文庫版で読みだした。

アマゾンで購入した。井筒の文章は硬質すぎて、あまり早く読むと消化しきれない。図書館で借りて延長入れて4週間があっというまだ。並行して最近は司馬遼太郎などを読んでいるからかもしれない。

図書館で借りた本は読み切ることにこだわらないようにしたら、気が楽になった。また借りればいいのだし、WEB予約もできる。借りてみて読まなければその一期一会はそういうものだった、ということだ。

一文との出会い。読み進めることに意識が行き過ぎると、一文を玩味することができなくなる。できれば立ち止まって、ノートに写して、再読する。自分のスタイルはこれでいい、と思っている。

あと場所の変化も重要だ。電車、カフェ、出張途上。とりあえず読んでみると短時間で本の中身に深めに潜ることができる場合もある。馬上、厠上、枕上でしたか、電車やトイレはそういう意味では貴重である(枕上は寝付けなくなる可能性があり、あまりやってません)。

井筒氏の文は、本として1985年頃にまとめられたものの文庫化だ。1985年ころの井筒さんの感覚で、それまでは誰一人として考えたことがなかった「世界は一つ」という実感が、当たり前になってきた、というところが興味深い。

幕末を描く司馬遼太郎を読むと、「日本と夷国」「日本とそれ以外の夷人」という世界に日本人がいたことに気づく。外敵として迫りくる異国とどう「つきあうのか」。そこには彼我同根、という意識は見当たらない。

だがその中で外国を見た少数の人間が、外人とはすなわち人間であり、分からない言葉は学べばわかる、ということを体感してゆく。そこから世界が広がる。心の開国、である。

さて、それらの開国はどちらかというと、外面的なものである。「彼らの文化を我らも味わう」。これである。あくまで「彼ら」は別の世界にいまだいるものなのである。

だが、WEBで世界すべからくの人々が、知らぬ間に精神の「開国」を行った。言葉は機械が翻訳する。人はWEB空間で交流できる。

これは人類史的にも、とても大きな変化である。そうした変化の中に我々はいるのである。

変化は変化、そこに基本、「いい悪い」は無い。

勿論個人がいいとか悪いとかは感じるものだ。だがその本質はただの変化、ただの諸行無常、ただの「一」。

時間が単なる人間の発明概念で、仮定のものである、という感じで最近は理解している。いわば「変化も含んだ今しかない」「変化を含んだ今だけが永遠である」「だが変化はある」、という感じだ。

まあ、どう考えるのも自由、ということでやっているのだが、そういう意味でも自由な世界創造ができる「小説」は面白いし、この世界の「存在」を仮定し、遊興している存在を仮に「神」ということもありだろう、と思っている。存在というのはすこし違う。「状況」とでもいうべきか。神とは状況である。

井筒さんの文章で自分なりの蒙を啓かせていただいたのは、そういう「精神面での開国」が、決して幸せではない、ということだ。文化は早晩消滅し、一つとなる。人種の違いも、言葉の違いも、時間がどれくらいかかるかはわからないが自然と一つになる。なってしまう(多分1000年位先だろうか)。

地球という星は、「コントロール下にある」と認識され、人間以外の動植物や気候もまた、コントロールしている、と「人類」という一つの集合的一意識は、おもうことだろう。

そう、「個人」の融解もあるだろう。アバター、サイバー空間、今なんというかよくわからないのだが、そのあたりから「個人」というものも大きく変容してしまうだろう。

そしてそのことはストレスである。個人として揺蕩う時間を味わうことが、芳醇な個別の文化を味わうことが、なくなるからだ。

私は一人になる時間が必要だ。こうして日記を書くことも、「一人」でないとできない。「一人である」と感じることで初めて言葉が出てくるのだ。

これからの時代は、こうした「本質的にプライバシーのない、情報拷問時代のサバイバル」が重要なテーマと、なってくるのだろうと感じている。

(この時代敢えて情報を遮断し、一人で暮らす人々を撮った写真集がある、ということを知りました。読んでみたいです)