夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

1月11日 年初読書(井筒俊彦)。

今朝の体重66.7kg、体脂肪12.8%、やっぱりな(笑)

 

まあ、昨日は1週間ぶりにトレーニングができたのでよかった。体重も1kgは落ちたようだ。

昨日は久しぶりの雨で、トレーニングのあとで図書館に寄ったが、帰りは寒くて風が強くて消耗した。区役所の警備の人はこの寒さのなか立ち続けていて、大変な仕事だなと震え上がった。とても自分にはできそうもないし、定年後そうした仕事はきついなあ、と思った。

 

この3日ほど頭痛がするので、ロキソニンと胃腸薬を飲んでいる。冬はやはり風邪などいろいろトラブルがあるものだ。

 

昨日夜は部屋に帰ったが、大豆イソフラボン食べすぎ問題があり食べるものがなかった。いつもは納豆と卵ときな粉とアーモンドで即席ペーストを作って食べ、その間に鶏肉を煮る、というのがパターンなのだが。。

すぐに食べられるものを考える必要があるようだ。

 

体が冷え切っていたので、暖房を30度にしたが、エアコンなのでイマイチパワーがない。寝る前にやっと味噌汁を作ってのんだら、てきめんで体がぽかぽかした。こういう時は暖かい飲み物がいいのだな、と実感した。

風呂に入ればいいのかもだが、多分寝てしまって追い炊きができないので冷水につかることになってしまう。

 

すべてのことは学びである。

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年末年始、留守宅で無事岩波文庫井筒俊彦著「意識と本質」を発見した。読みだしたが、当然ながら読み飛ばすことはできない。

1章だけでも、2読、3読、メモを取って表にして、やっとおぼろげに見えてくる感じ。だがその内容は大変に面白い。

同時に年末に手に入れた「コスモスとアンチコスモス」もぱらぱら見ているが、プロティノスの一説が引用されていたので、孫引きする。

 

あちらでは、すべてが透明で、暗い翳りはどこにもなく、遮るものは何一つない。あらゆるものが互いに底の底まですっかり透き通しだ。光が光を貫流する。ひとつ一つのものが、どれも己の内部に一切のものを包蔵しており、同時に一切のものを、他者のひとつ一つの中に見る。だから、至るところに一切があり、一切が一切であり、ひとつ一つのものが、即、一切なのであって、燦然たるその光輝は際涯を知らぬ。

ここでは、小・即・大である故に、すべてのものが巨大だ。太陽がそのまますべての星々であり、ひとつ一つの星、それぞれが太陽。ものは各々自分の特異性によって判然と他から区別されておりながら(従って、それぞれが別の名をもっておりながら)、しかもすべてが互いに他のなかに映現している。

 

井筒俊彦 コスモスとアンチコスモス P.16 Plotini OperaⅡ、edP

段落は個人で一部変更

 

プロティノスといえば、”すべては一である””一者(THE ONE)というイメージであるが、その言わんとすることが、上記引用からいきいきと理解できる気がする。

まあ、読まれる方によっては、なにわけのわからんことを、という感じにもなるのかもしれないが、すべてを含む”全””一””神”から、言葉により分節化した仮の姿がこの世界である、とするならば(仏教やシャンカラ)、それがもともとはこういった状況ですよ、ということを言わんとしているのだと理解した。

 

それより前に、ああ、この世(ちょっとぴったりしてないが)はこんな風なんだな、と、

 

個人的にはジワリと心に染みたのである。

 

(読みでがありすぎだし、頭痛もありますが、読書は楽しいですねー)

 

尚、GEMINIさんにプロティノスもその中に数えられる”新プラトン主義”について、なぜ”プラトン主義”ではなく”新”の語がついているのかを質問すると、大変に明確な答えを得られたので、引用して記載する。GEMINIさん恐るべし。

 

以下引用。

 

プラトン主義に「新」が付くのは、それがプラトンの教えを基盤としながらも、プラトン自身の思想とは異なる要素を取り入れ、独自の発展を遂げたからです。単なるプラトン思想の焼き直しではなく、新しい解釈や概念が付加されたため、「新」という接頭辞が付けられました。

具体的には、以下の点がプラトン主義と新プラトン主義の主な違いであり、「新」が付く理由と言えます。

  1. 「一者(The One)」の概念: 新プラトン主義の中心概念である「一者」は、プラトンの思想には明確には見られないものです。プラトンは「善のイデア」を最高の原理としていましたが、「一者」はそれよりもさらに超越的な、あらゆる存在の根源として位置づけられます。この「一者」からの流出という概念は、新プラトン主義の大きな特徴です。

  2. 流出説: 新プラトン主義では、「一者」からヌース(知性)、プシュケー(魂)、そして物質世界へと段階的に存在が流出していくという「流出説」が展開されます。この階層的な存在論は、プラトンの対話篇には明確には描かれていません。

  3. 神秘主義的傾向: 新プラトン主義は、理性的な探求だけでなく、神秘的な経験やエクスタシーを通して「一者」との合一を目指すという傾向が強いです。このような神秘主義的な要素は、プラトンの思想よりも東洋的な宗教や神秘思想の影響を受けていると考えられています。

  4. 後の思想への影響: 新プラトン主義は、キリスト教神学、イスラム哲学、ルネサンス期の思想などに大きな影響を与えました。特に、アウグスティヌスフィチーノといった思想家たちは、新プラトン主義の概念を取り入れ、自らの思想を構築しました。このような後世への影響力も、「新」プラトン主義が独自の哲学体系として認識される要因の一つです。

つまり、新プラトン主義は、プラトンの思想を基盤としながらも、

  • 超越的な「一者」の概念
  • 階層的な流出説
  • 神秘主義的な傾向

といった独自の要素を加えることで、プラトン自身の思想とは異なる新たな哲学体系を構築したため、「新」プラトン主義と呼ばれるのです。

例えるなら、古典音楽を基に新しい解釈やアレンジを加えた音楽を「現代音楽」と呼ぶようなものです。基盤となる要素は同じでも、新しい要素が加わることで、別のものとして認識されるのです。

この「新」という接頭辞は、18世紀以降に文献学が進展し、プラトン自身の著作と後世の解釈が明確に区別されるようになったことで定着しました。それまでは、プロティノスの思想もプラトン哲学の一部として捉えられていた時代もありました。

プラトン主義を理解する上で、プラトンの思想との違いを意識することは非常に重要です。そうすることで、新プラトン主義が独自の哲学体系として、西洋思想史において重要な位置を占めている理由が見えてくるでしょう。

 

いやあ、詳細にして明確。すごい時代になったものだ。