夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

12月16日 私はこんなにも神保町の2年目の冬を。森博嗣さんの日記の一部を読むなどして考えたこと。

さて、1年前の日記のタイトルを思い出しながら、似たタイトルを書いてはみたのだが、とりたててわざわざ書きたいトピックはないのである。

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2度目の神保町の冬である。大学生ならば2年目に入ったところ(私は去年の10月に来たのだ)で、ちょっと住んでいる界隈のことがわかってくるころだ。

 

その割には実感がないのだが、とにかくこちら東京はいろいろな見どころが多すぎて、目移りしてしまうのである。

 

ということで、昨日図書館で読んでバインダーに書き写した森博嗣さんの2019年12月の日記本で読んだことなどを思い出して書いてみる。

 

書き写したバインダーを持ってきていないからだ。

 

私が森博嗣さんの日記本を読むのは、そこに森さんの本音の哲学(というか生の考え)が遠慮なく開陳されているからだ。直截で、忖度なし。その言葉は森さんがただ思っていることなのだなあ、と実感しつつ読むのが楽しいのだ。

 

仕事のことだった。うろ覚えなので、POINTのみだが

 

仕事は楽しくない。その結果得たもので、自身の自由を広げるために行うものだ。

 

ということが書かれていた。

 

 

 

この考え方にはいろいろな意見があろう。基本人それぞれでいいのだが、私にはしっくりくる。まさに就職の時そう思って就職したからだ。

 

小学生の時から、老後を楽しみにしていた。

 

正確にいうなら、別に”老いる”必要はないのだが、私の立ち位置では、”老い”ないと自由は得られないだろう、と推測しており、そう思っていたからかもしれず、結果か前提かは不明ながら、そのような感じにはなっている。

 

森博嗣さんは名古屋の名門私立校を経て、名古屋大学助教授をされていたが(たぶん建設系の工学部か?)、書かれたものが広く読まれて、専業作家になられた方だ。

 

私は名古屋は就職後に初めて訪れたので、同じ学校ということはないが、名古屋に長く住んだので、その点では身近に感じる。

 

趣味の庭園鉄道や模型飛行機をやりたくて、副業で作家の仕事をされたのであるが(たぶん大学教諭は本を副業で書いてもいい)、それが当たって助教授の職を辞されたのだ。

 

普通国立大学の助教授(当時の呼称)であれば、それを辞するのはマジでもったいない、となるわけだが、趣味に没頭しても問題ない印税収入と、日々絶えず書き続けられる作品群のおかげで、マジでもったいない、ということは全くなかったのだろう。

 

いわゆる名誉で大学教諭になられたのではないことがわかる。なので、”自由を広げるために嫌なことを時間との交換でやって得られるのが給与である”という哲学には実感がこもる。

 

もちろん好きなことをやって金が稼げればいい、とだれもが思うだろう。そう思っている人もいるだろう。だが多分、少数派だし、仕事になった好きなことは、好きではなくなることも多いだろう。

 

思いつくのは、職業的に好きではない風景画を量産する画家など。売れるから、という理由で絵をかかざるを得ない、もともと絵がすきな画家。

 

これは結構しんどいだろう。

 

ジャンプの漫画家囲い込みなどもいろいろむつかしそうだ。爆発的に売れた漫画家が、次回作で同じようなグレードを保つことはできなくはないが、何十年というのはけっこうきついだろう。

 

またまた話がとっちらかった。

 

結局は、自分の自由を広げるために努力する。これが仕事。だが、なにを自由を得て行うかは、事前によく”自分に聞いて”おかねばならないのだろう。

 

(時間つぶし、というのは、本質的にけっこうきついですね。やはりなにかを生み出したい、となるような気がします。)

 

またまたあまり関係のない過去記事。

 

 

mamezouya.hatenablog.com