夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

意識して頭を別のことで満たす。

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くよくよ悩むことがある。

どちらかというとループで同じことを考えている。

 


それを変えるには、意識して頭を別のことで満たすのがいいだろう。

悩んだときに、入れ替える為のコンテンツ、というものを持って置き、できれば朝通勤途上などで”唱える”。

そうするとけっこう気分が変わるのだ。

ほかの事が考えられないようにするのもいい。

 


筋トレは私にとってはいい手段だ。限界に近い重量を10回ぎりぎり位でやると、結構頭は切り替わるのだ。というか頭は真っ白だ。

風呂もいい。結構心が”流れ出す”。いろいろ風呂だと思いついたりする。

 


今朝は”夏休みの宿題に対する対処法で、その人の性格がわかる”というのを考えた。

私は、夏休みの宿題なら、数種目あるので、好きな科目(お絵かきとか絵日記とか工作とか)はやっておき、漢字ドリルは結構好きだったのでちょと手を付けて、それで安心してあとはずーっつと放っておいて、最後で残りを焦ってやる、というパターンだろうか。

小心者なので、ちょっとやって(全体の1-2割)、それで無理やり安心して自分をだます、という感じだろうか。

完全に放っておきたいのだが、それもできない。

ただし、前半で完了させることはできない。

 


そんなタイプだ。

前半できちっとやる人のことはうらやましいが、その人に”なぜやらない”と詰められそうだったらイヤになる。

 


(仮に神秘主義とは)
簡単に申しますと、意識の深層を開くことによって、主体、客体を含めた意味での存在の深層、存在の深みをギリギリのところで、つかまえるということであります。
意味の深みへ 井筒俊彦 岩波文庫 P.226 
生命、存在の意味というものは、意味を与える、という高次の存在がある、或は居る、という前提を掲げなければ、基本「生まれたから、あとは死ぬだけ」となるだろう。

無理やり「意味があると信じたい」という気持があるので、そんなものはむなしい、と決めるのが今の普通なのだろうが、

それでもなお、というところを”意識”というキイワードで潜って行きましょう、というのが神秘主義、といわれる構えであるのかもしれない。

どちらが”正しい”のか、という問いは立てられまい。

まあ、どちらが”気分か”というくらいの差異と、

なるのだろう。

(輪廻、というのも考えると面白いですね。思考実験として)