夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

眠りにより無意識に問題検討をさせる。

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勝間さんのYOUTUBEで、

甲子園が無意識、懐中電灯が意識

ということをお聞きした。

 


また、眠ることで記憶が整理され、問題点に対する解決ヒントが翌日朝浮かぶ、ということもある。

まあ、入浴してスマホを見ずに音楽だけにして瞑想をしていると、いろいろな雑念が起こっては流れてゆき、やるべきことが立ち上がり、すっきりしたところで新しい画題や画趣を思いつく、ということもある。

眠りや瞑想は、無意識へのアクセスであるのだろう。

また、精神は脳だけだ、という思い込みがあるし、確かに意識の大部分は脳でコントロールされている(方向性を示される)という感覚はあるが、だが、腸が考えているという話もあるし、「腹落ちする」などという体感や感触に沿った表現も想起されるところだ。

全身の細胞一つ一つが、なんらかの意思ではないが、なんらかの考えに似たものを固有している、という気もする。

まあ、あと世界と自分との境界というものは、ミクロで見ればない、つまりミクロでみればこの肉体は単に世界の中の「濃くなっている」部分であるともいえる。

そんなことをつらつら考えるに、まあ、とりあえずは今この「生」の中で、意識と無意識、と呼ばれる機能を使っていろいろやってゆこう、ということになってくる。

問題点をぼんやりと抱えたままで過ごす。抱えることで無意識がその問題を考えるのだ。

論理的、という手段でギリギリと考えてゆくのも時にはいいのだろうが、「疲れる」。

脳がブドウ糖を欲するのだ。

全身で、無意識も含んで、ジワリ考えれば、栄養源は全般でいいのだ。

(全身で考える、眠って考えるのは、疲れるというよりリフレッシュできる気がします)

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