夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

時間、健康、お金の余裕があって初めて人は落ち着くのだなあ。マズローの上級世界のスタートはその条件をなんとかGETすることのような気がする。

マズローの上級世界、本来マズローが世に訴えたかったが、イマイチきちんと評価されていない概念が、やはりなかなか興味深い。若干の宗教性を含むので、ユング紹介時に河合隼雄さんがとちらかというと実践面を強調されたり、シュタイナー紹介も学校教育面を主に紹介されたり、と多くの日本人が生来持っている(歴史的に?)いわゆる「キリスト教一神教アレルギー」を忖度した紹介が、マズローにおいてもなされているのだろう、と個人的には思っている。

自分にとって理想の世界、これはもちろん皆さん子供のころからある程度意識的、あるいは無意識に求めて生きていっていることだろう。

このコーナーでもなんども書いている気がするが、私はなんというか小学2年生くらいから、なんとなく集団、とくに学校以外の社会生活(まあ、男の子のバイオレンスと体力と上下関係にあふれた動物的世界ですな)にたいし、「こりゃあメンドクサイ」という思いでいっぱいであった。うまく対応できないのだ。

で、そのに何とか入っていこう、ということはなく、というか、スムーズに入れるスキルがない(野球嫌い、運動できない、すぐ泣きそうになる(言葉で言われるのにメチャ弱い))ということを痛感していた。これは多分小学校1年入学の時からだろう。

ああ、集団はめんどいなあ。

だが、なんとか適応していかないと、生きていけないなあ。

子供心に、そんなことをメインに考えていた(それ以外は主に怪獣、怪人(笑))。

なので、自分の資質にあった戦略はどのあたりか、ということは常に頭のどこか、というか無意識の問いとしてあった気がする。

運動神経は壊滅的にダメだった。だがこれはどちらかというと先天的というよりは、普段好きではないのでやらないことで、普段からやっている子供に負けていたのだろう、と思っている。

では、例えば逆上がり、水泳、野球。やりたいか。

全くやりたくないのだ。

で、頑張ってやることはやめ、やらねばならぬ集団には入らないことにした。

そして得意なことを伸ばす。これは具体的には「模写」と「相撲」。

マンガが好きで、模写を小学生レベルから少しでも早く抜け出そう、という思いを持っていた。自然と湧き出た。そう思った瞬間を今も思い出す。団地の階段だった。たぶん小学校2年か3年。

そして幼少時預けられていた母方の祖父母宅(箕生にあった)で、相撲ばかり見ていたので、なんというか、運動とは相撲のことだ、ということと、力士の個性を深堀りして楽しむ、ということを覚えた。

見ていれば自然体に染み込む。相撲はまあ普段やっていない奴であれば体重90キロくらいの奴とでも勝てた(中学時)。

相撲とマンガ(読むと描く)である。長じて相撲はプロレスにもつながった。

まあ、結果的にマイナーながら、一定数のコアな好き者がいる世界だ、ということを徐々に感じるようになってきてはいた。

義務でなく好きで追及している世界なので、やることは喜びでしかない。

やっと、世界となじんでやっていくのにいい手段かも、と思ったのは、高校生の頃だろうか。

いまだに運動音痴で有名であったが、柔道(投げ技なし、締め技だけで嫌われていた(笑))とお絵かきと漫画本貸し出し、で居場所を作っていた。

 
だが、社会人となればそれではたぶんだめだろう。

ベタベタな人間関係に耐えられるスキルが必要だ。

潜在意識はそう言っていた。

それで大学では運動部に飛び込んだのだ。同好会ではなく、運動部だ。

(タイトルのことに及びませんでしたが、心に懸念事項がると、そして天気がわるいと体調がすぐれなくなると実感しました。で、昨日8時間寝てみると、今朝の天気もよく、気分が乗ってきました。半年ぶりに炊いた白米もとても美味でした。たらふく食べて63.4キロと太らないので、今日の昼はパン2個買ってみます(笑)。太るのもイカンが、痩せすぎは筋肉を栄養に使いますからね)