夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ダメな自分も自分とみとめよう。ゲド戦記(映画版)をみてアルターエゴや吾郎さんの苦しみを斟酌してしまうことについてなど。

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勝間さんYOUTUBEでこれまた刺さった言葉である。

無意識に、「うまくいった自分が本当の自分で、失敗した自分は忘れてしまいたい本当ではない自分」と思っていたことに気づいた。

だが、いいのもわるいのも、合わせて自身である、として自分を統合してあげることが必要である。そういわれてなるほど、と唸ったのだ。

不評、といっていい宮崎吾郎氏の「ゲド戦記」であるが、私は非常なるシンパシーを持っている。自身がもし宮崎駿の子供であったのなら。アニメージュナウシカの圧倒的な画力(しかも宮崎氏は絵描きとして東映動画に入ったわけではないのだ!)を見て、「こりゃアカン」と思った身としては、身近にそんな人がいるのはたまらんとしかいいようがない。

なんどもこの欄で書いているが、吾郎氏が描いたドラゴンの絵はよかった。あれを見たとき、「吾郎さん、やったね」という気になったものだ。

だが、絵を動かす能力でいけば、駿氏は間違いなく人類史で5本の指に入るであろう。対抗できるわけがない。

話がずれたが、ゲドではアルターエゴ?言葉があやふやだが、自身のダークサイドが目に見える「影」として提示された。そして最終その影、もちろん自身が認めたくない部分と和解し統合したとき、人は完全に生きることが出きる、というメッセージを個人的には受け取った。

原作者のアーシュラ・K=ル・グインがもやもやした表現ながら「お父さんでなく息子さんで残念」というメッセージを出さざるを得なかった意味はよくわかる。駿氏が映画化すれば、ゲドはトトロ同様、世界に広がっていただろうから。

だがこれも運命。駿氏が自身で作ろうと思ってル・グイン女史にオファーしたとき、ル・グインのもとには同様のオファーが来すぎており、自身もトトロにいまだ接していなかった、ということなので、仕方がなさすぎるであろう。

普段、いろいろな出来事に対して、ノーコントロールで出てくる感情はエゴからのものなので、だいたいが残念で残酷で実もふたもないものだ。

こんなことを想う自分はダメな人間だ、

ということを(深層心理で)想い続けるわけである。


だが、その思いそれぞれに対峙し、「どうしてそう思うのか」「そう思う自分はもちろん認めたくないが自分であり、認めて統合しよう」「そしてそののちエゴではなく理性でどう思いたいかを考えよう」という事でやっていくわけである。

思いを放置しないで、きちんと対峙する。

そういう言い方に、なるだろうか。

(本当に宮崎駿氏の画力は当代一番だと思っています)

 

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