夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

面白き。

こともなき世を面白く。

高杉晋作の辞世の句という。享年28歳。

久しぶりに京都へ行った。

三十三間堂清水寺、そしてかねてより行きたかったアスタロテ書房さんを訪ねた。

神戸出身の私は、小学校の遠足で京都と奈良に行った。多分4年で京都、5年で奈良だったような気がする。修学旅行は伊勢であった。

このあたりは皆さんお住まいの地域によって色々であろう。京都となるとどうしても「なるたけたくさんの寺や仏を見なければ損だ」というような謎の気分になる。

勢い、だんだんと感興が薄れてきて、「観光マラソン」の気分となる。

その後多分1度観光バスで廻った気がする。

今回は一人だったので、できるだけ観光マラソンは避けようと思った。歩きだったので、総計で18000歩歩いた。雨が降ったりやんだりであったので、気温はそれほどでもなかった気がする。

清水寺では寺を、そして勿論三十三間堂では仏を心行くまで見まくった。

人と行くと、人それぞれの興味によって、自身がもっといたくても気を使って終了、となる。私はかつてみうらじゅん先生といとうせいこう氏の「見仏」にはまったことがあって、快慶運慶は大好物であるのだが、久しぶりの三十三間堂は本当に心楽しく見て回った。

今回気が付いたのは、二十八部衆でしたっけ、それぞれの解説が上段日本語、下段英語となっているのだが、英語は単なる翻訳ではなくて、原典や名前の由来、そして寺伝と現在の暫定判断による名称変化などの情報が厚く記載されている。まあ、小学生や観光マラソン時にはまさか英語を読もうという気力はあるわけがないが(小学生時は能力もない)、今回はできるだけ読んでみた。

なかなか面白いではないか。

願わくば英語を日本語訳して添付するべきだ。日本人にはあまり原典解説がそぐわない、信仰対象でもあるのだから、という配慮が多分働いているのだろうが、それは個人に任せるべきだと思った。

念願のアスタロテ書房さん訪問に関しては、思いがありすぎるので、別稿とさせていただきますね(笑)。

(千体の仏の顔をすべてPCで見ましたが、全然違います。個別の尊称ももちろんあり、それも今回の収穫でした)