夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

夏のスーツで激やせする。言葉とことわざと解釈中のルサンチマンについて。

昨日の体重(帰宅時)は久々の62.8kg。体脂肪は10.2%であったか。

夏場にスーツで歩いていると覿面に痩せることに気づいていた。これは昨年も同じで、63キロというのは大学時代と同じ体重なので、そういう意味ではだいぶやせた感じがある(大学時代の食生活=食パン+マヨネーズを考えると)。

まあ、大学時代は栄養的な知識は皆無であり、今考えると食パン+マヨネーズを今続けているともう死んでいるかもしれない、とぞっとする。

 

日本語のことわざで言うと「情けは人の為ならず」を一緒に解釈をしながら、自分の行動に落とし込んでいければ良いかと思います。ちなみに下記の URL を読んでいただきたいのですが、なんと今の日本人の半分しかこのことわざは正しく理解をしていなくて、残り半分は情けをかけることは人のためにならないと考えてるそうです。
ちなみにこれは「情けは人のため『に』ならず」と誤解している人が多いのだそうで、本来の「情けは人のためではない(回り回って自分のためである)」と解釈するには、古い言葉の理解力が減っているためということでした。

勝間和代さんのブログから。

日本語の乱れ、という言い方を昔はよく聞いた。いまはあまり聞かず、これは日本語に対しての感覚が「雑」になったせいではないか、というのが、最近亡くなった小田嶋隆さんのご意見であるが、私もそう思う

だが「乱れ」という語を使うと、「あなたは誤っており、私はただしい」という上からの目線を感じるので、ことさら反発したくなる、という面もあると思っている。

言葉はとにもかくにも、自らが自らのものとして発するもの。自らがそうしたいように発するべきだ。

なので、言葉を選ぶべきだ。そのことばが世間でどのように言われていようが基本的には気にすることはない。

私は人を呼び捨てにできない、ということを先日言った。

だが人から呼び捨てにされることに全く抵抗はないし、人がそう呼んでいることにもなにも感慨はない。むしろ感慨を持ってはいけない、と思っているのだ。

そういう意味では、例えば残念ながらことわざの意味が分からなくともいいし、もっというと実はわかってはいてもその真理は自分にとっては納得しにくい、というなにやらルサンチマンの気配も感じるのだ。

一次的にそう感じるしんどい渡世なのだ、

という。

(間違ったというか、そう思いたい解釈、というのがあるかもしれない、ということですね。。)