夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

知る、ということ。

僕は水木しげるが好きだ。

世代的には、正確にはアトム世代ではなく、ちょっとあとの鬼太郎世代だ、というのが、今はわかる。

アトムのTVは白黒で、僕が生まれる1965年にはすでにやっていたはずだ。鬼太郎は、1968年ごろにブームがあったように思う。

小学校になれば、箕面にあった宝塚ファミリーランドの鬼太郎夏祭りのジオラマを祖母と見るのが定番であった。本当は宝塚は手塚の地元なのだが、とにかくファミリーランドはそのころ鬼太郎が多かった。

今思えば、水木さんの”ミズキ”は神戸由来のものであるし、この2大巨匠とは、地縁的にはつながるものがあったのである。

僕の小学校時代は、鬼太郎、仮面ライダー、ウルトラマン(セブン&帰マン)、ど根性ガエル、おそ松くん、鉄腕アトムマジンガーZ、といったマンガや特撮で過ぎていった。

この中で、おそ松くんと鉄腕アトムは、いわばマイ・ブームであり、特段世間では流行っていたわけではなかったが、毎日のようにマンガを繰り返し読む、という形であった。アトムについては、朝日ソノラマ版がちょうど発売されたのを購入する、というきっかけであった。自分が生まれたころ、大ブームがあった、というのは、そのマンガを通じて知ったのである。したがって、僕の世代では手塚と言えばどちらかというと、ブラックジャック三つ目がとおる、で知っている作家であり、タッチであったであろう。それは自身の感覚で言えば、若干精神年齢より上のマンガ達であった。

その中で、僕はいわば過去の手塚を知り、のめりこんだのであった。基本的には昭和40年ころのタッチが一番すきであった。一大ブームを起こした”地上最大のロボット”のころである。あのころはTVも大人気で、アトムが一番流行った時期でもあったろう。描かれた時期が長いため、アトムの顔は年代によって当然タッチの差があった。書きつづけることでタッチが変化する、ということを、僕はアトムを通じて実感したのであった。朝日ソノラマ版は、その後の秋田書店版と同じ構成であったと思うが、かかれた年代がバラバラであったため、余計にそれを感じ、ページをあけてアトムの顔を見れば、昭和何年ころに描かれたアトムであるかを当てることができたのは、僕の数少ない自慢であった。個人的には、40年ころの手塚のタッチがやはり一番好きだった。それを過ぎるとタッチが流麗過ぎる気がした。その前は、タッチが少し硬い気がした。

書き続けて、到達した一番好きな瞬間。ちなみに同じことを赤塚でも石森(当時)でも感じていた。リアルタイムの赤塚は天才バカボン。しかし一番すきなのはおそ松くん。これも40年代前半に大ブームがあったはずだ。石森の場合はサイボーグ009.だがこれもリアルタイムでは、どちらかというと目にする機会が少なく、仮面ライダーの原作、という位置付けが作家の印象であった(ちなみに自分の小遣いではじめて買ったマンガが、サイボーグ009.購入理由は、ほしかったマンガの中で、一番ページが多い割に値段が安かったのである。確か小学校3年くらいであったろうか。一人で本屋に入り、非常に悩んだ末に購入したことを、今でも思い出す。場所は舞子駅前であった。一人で電車に乗って耳鼻科へ行った帰りであった)。

従って僕は好きな作家の好きな時代がなぜかちょっとずれている感を強く持っていた。好きなマンガは探して読まなければならない。それはすでにコミックスになっており、それをいっしょに語り合える友人はあまりいない。一人で読み、一人で好きになるものだ、という思いを持っていた。
従って、週刊誌購入(購入できる小遣いはなかったが)は今まであまり経験がなく、マンガはコミックスで読むもの(立ち読みを含め)、であった。

そんな中で、水木しげるのタッチは数少ない”現役タッチ”のファンであった。というか、ごく初期のもの(小学校時代は当然目にする機会がなかったが)を除き、その過剰に精密なタッチは、ずっと変わらずにいた作家である、というのが僕の印象であった。いわばタッチが不変の、安定感のある作家、という把握を、当時の小学生たる僕はしていたのであった。

前振りが長くなった。

本稿のタイトルにあるとおり、知る、ということが自分に取って、人間にとってどういうものであるかを考えよう、ということを書きたいと思って、4時であり余りに眠いので、この前買ったミズキさんの奥さん、武良布枝さんの本”ゲゲゲの女房”をパラパラとめくって読んでいたら、突然鬼太郎やアトムのことが浮かんできたのである。すばらしい本だ。水木作品を読んでいる身としては、奥さんがどのような思いで水木を支えていたかが気になる。一言、一心不乱に漫画を描く姿に、正直描く内容が暗くて怖いと思いつつも、そんなことは思ってはいけない、と尊敬の念を覚え支えた、という真実の思い、これを読んで僕は、この本を買ってよかった、と思った。

中に水木しげるが、ゲーテを読み、気に入った言葉を紙に書いて張ってあった、との記述がある。その言葉を引用させていただきたい。

「自分自身を知るのは、楽しんでいるときか、悩んでいるときだけだ。また、悩みと喜びをとおしてのみ、自分が何を求め何を避けねばならぬかを教えられる」

「死を考えてみても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かって絶えず活動していくものだと確信しているからだ」

「精神の意志の力で成功しないような場合には、好機の到来を待つほかない」

      (ゲゲゲの女房 武良布枝著 P.80)

まさに知る、ということの喜びを伝えてくれる言葉である。こうした言葉を壁に、日々漫画描きに精進する水木氏の姿がまた、浮かんでくる。鬼太郎が面白い理由も、わかってくる。