夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

熱中症から何とか生還した感じ。ファンタジーとミステリーとゲド戦記へのお詫びについて。

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熱中症になった。

先週月曜にふらふら来て、火曜は午後から半休、水木金土と会社終了後はどこにも行かず(行けず)、例外は自転車で日比谷図書館に行って本を借りて・返却していた(ほぼ本を読んで過ごした)。

夜の発汗量は半端なく多かった(1.5キロ減った日もあり)。日曜にやっと、感覚的に「あ、治ったかな」と感じられた。

熱中症は時間がかかるというが、実感した。手のしびれが当初あったが、初日から3日間程度は頭痛も結構厳しかった。やはり熱中症はあまり侮ってはいけないのだ。

日曜は、午後からまた日比谷図書館に行って、ミレニアム4を返却、5と6の上巻を新たに借りた。借りられる冊数が5冊(千代田区勤務者)なので、6の下巻は借りられず(2冊借りている)。

激しい夕立が2回ほどあったが、図書館内でそのまま読書していたので、むしろ閉館後は涼しかった。

先週はジムに行けなかったので、公園内の鉄棒で懸垂。さすが東京といおうか、上半身裸の日本人らしき人たちが数名、外国人2名が、鉄棒(いわゆる大車輪とか?)をやっている。私は逆上がりもできないので、黙って懸垂を順手で20回、逆手で10回、足上げ腹筋関係3種各10回を淡々とこなす。

みなさんいわゆる体操系の身体である。どちらかというと小柄で筋肉質。なぜか全員上半身裸。

人口が多いと、いろいろな人がいるなあ、と実感した。

 


さて、ミレニアムは順調にどんどん読んでいる。昔はミステリーが好きでよく読んでいたが、最近はとんとご無沙汰だった。久し振りにシリーズを読み進めている感がある。

ミステリー、SF、ファンタジーと並べると、私はどちらかというとファンタジー好きである。指輪物語ナルニア国物語ゲド戦記。世界3大ファンタジーと言われるこの3作品は私のなかでもやはり別格である。

なかでも「指輪」。読みだしたのは、中学1年生であったか、足にできたタコ?を冷凍で取るために神戸大学病院に行ったときの待合室で読みだしたのだ。

なんとなく不安で待っているときに開けたトールキンの世界。以来今に至るまで魅了されつづけている。

ハリポタは一応読破はした。まあ、面白いのだが、やはりすきなのはハイ・ファンタジーである。行って帰るパターンも悪くはないのだが。

マンガでハイ・ファンタジーと言えば、個人的にはやはり「ナウシカ」に尽きるだろう。宮崎駿ゲド戦記のファンだというが、そうした世界観も反映されている感じだ。とにかく絵で東映動画に入社したわけではない宮崎駿の画力に、本当に脱帽、というか絶望したことを覚えている。

「こんなに絵が上手い人がいるんなら、自分はもうどうにもならない」

まだ、手塚治虫であれば、よかったろう。勿論神のような筆さばきだ。だがアニメで大量に描きまくった宮崎の手腕、とくに背景や物語の輪郭、人物の輪郭造り(キャラクター作り込み含め)を感じて、これはもうどうもならん、と感じたのだ。

いまもそうだ。

もののけ姫、では宮崎は自身ですべてのカットを見て手を入れた、という。つまりはどのカットを見ても,宮崎の手になるわけだ。

道理で、どの絵も全く完成している、という感覚があったわけだ。

ゲド戦記の映画では、演出予定だったひと(どなたかは把握できていない)が降りられたため、結局責任感から吾郎氏が監督を引き受けたのだと最近理解した。その過程で親子の確執が発生し、結果として父親からの協力をほとんど得られなかった吾郎氏のご苦労はいかほどであったろうか。

偉そうにいままで映画の出来を批判してきて来たが、本当に申し訳なかった、と思っている。

タイミング的にハウル(これも大好きだが)を作っていた駿氏が出来なかったにしろ、もう少しいい形でできていれば、とこれはいまさら言っても仕方がないことであろう。

(黙って言い訳をされない吾郎氏の男気というか責任感に、単なる一観客ですがお詫びしたいと思っています。。)