夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

異邦人日記。東御苑でパンを食べることとハイデッガー自分調べ。

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今日は4月11日。現在13時過ぎ、気温は23度である。

今朝新潟から帰って来た。新幹線から見た越後湯沢駅前では、桜が満開であった。山形でも桜満開という。北海道では通常GWに咲く桜が開花したという。

桜のシーズンはだいぶ早くなってきたようだ。昔は入学式は桜と一所に撮影、というイメージであったが、今はどちらかというと卒業式であろうか。

いずれにせよ、ピンク色満開の中にいると、気持ちが華やぐのは間違いない。今まではやはり桜といえばソメイヨシノ、花ばかりで葉はあとから、というイメージであったが、この前北の丸公園で見た八重桜は、葉が混じってはいても美しかった。すこし考えを改めようかとも思った。

さて、昼休み、45分のところ、東御苑に行って歩いている。今日はパン(280円の酒粕ちゃん)を御苑内で食べてみようかと思ったが、あまり食事をしている人がいないようなので、為念調べたところ別に食事禁止ではないし、売店もある、とのことであった。

で、パンを右手にひっつかんで(ころっとした感じ)、左手にスマホx2もひっつかんで、手の振りで弾みを追加するイメージで行ってきた。

御苑内で座っていると、好天に恵まれていることもあるだろうが、日本の公園にいる感じがしない。7-8割は海外、それも欧米系の人たちが来園しているようである。

そういう意味では自分が海外に居て、海外の公園に座っている感があった。

考えてみると、ここ東京でも私日々異邦人感満載で過ごしている。

まあ、「この世界、この次元、この一瞬、この永遠」にたまたまいるわけであるが、それがこの「異邦人感」の元にあるのかもしれない。

そう思って改めてみる御苑内の新緑も、新緑の上にそびえるビル群も、妙に新鮮で初めて見るような気がした。

ハイデッガーは、この「自分の目」を通して得る視覚情報は、例えば視覚情報を得る為に存在するビデオカメラやカメラで映像を取り込むことと、この目を通して映像情報を得る行為が、本質的には同じであることを指摘している(自分調べ)。

考えてみると当たり前で、自分の器官を使っていることを特別に思うのが人間のデフォルトだが、別にそれが特別なことではないのだ。

例えばコンピュータがはじいた答えでも、人間が熟考して得た答えでも、答えとしての質は同じであるように。

ひねり出した過程を加えて、人間の答えの方が尊い、と考えたくなるのが、人情=エゴ、ではあるのだが。

(頑張った=尊いと思いたい、というのはありますねー)

 

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