風呂で思いついたので、メモ。
人は、生きるための義務(したくなければしなくてもいいものではなく、しなければならないもの)として、食べるために生きる。
これが第一段階。
ここでの生きることとは、仕事といっていい。
この仕事は生物として弱い人類は、分業して”仕事”を作った。
生きるために食べる、とは、その段階を超えて、人生を考え、楽しむレベルであり、それは言ってみれば贅沢なものである。
考える、とは、考える存在、としての人類に与えられた愉しみである。
風呂で思いついたので、メモ。
人は、生きるための義務(したくなければしなくてもいいものではなく、しなければならないもの)として、食べるために生きる。
これが第一段階。
ここでの生きることとは、仕事といっていい。
この仕事は生物として弱い人類は、分業して”仕事”を作った。
生きるために食べる、とは、その段階を超えて、人生を考え、楽しむレベルであり、それは言ってみれば贅沢なものである。
考える、とは、考える存在、としての人類に与えられた愉しみである。