道を楽しむ,と書いて”道楽”。
この言葉に染み付いたドクサは決してポジティブとは言えないのだが、しかし実は自らが好きでやっていることを対外的に恥ずかしげに、そしてどこか自信を持って表明するときの言葉でもある。
道楽、ですがなにか?
好きでやっていますよ。
そんな意味合いも籠った言葉でもある。
小林秀雄全集のカバーだったか、
”これを知る者はこれを好む者にしかず、
これを好む者はこれを楽しむ者にしかず”
ということばがあった。
これは孔子の論語からの言葉であることを知ったのだが、こうした論語の知識がある世界で、”道楽=道を楽しむ”といった場合は、それはポジティブな意味がいや増してくる。
何でもかんでも”道”にしてしまう、というのは、日本人の癖である、という言い方があるが、それはそうでも無いように思う。ただその率が高い、そしてそうした方向に行くことを善しとする心のつくりになっているのが日本人である、ということは言えるかもしれない。
渡邉昇一”知的余生の方法”を読んでいる。
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高校生の時、”知的生活の方法”を読んで、わがままで自己中心的な知的生活、というものに憧れた。ネガティブな受験勉強が、ポジティブな真の”勉強”に変わる可能性を将来に見た、といってもいいかもしれない。
それから幾歳月が過ぎたのだろう。
自ら夢みた”知的生活”なるものに近づいているのか。そうではない、そうではないが、”そうしたい”という気持ちはこの僕の心の中にあり続けたような気がする。
何度もここで書いてきたが、小学校の文集で”将来のなりたい自分”で、本音が書けず、”大きな家に住んでコリーを飼う”といったことを、なんていやらしいんだろうと思って書いた気持ちは、今でも身近にある。その時の本音は”年金生活者”。ポプラ社のホームズシリーズとルパン全集、明智小五郎シリーズ等が愛読書であった小学生は、その英国の物語の中の登場人物が、特に働かずに過ごしていることが実は一番心に残った。しかし、いくら小学生でもそれをそのまま書くことははばかられた。
仕方がなく書いたのが前述の記載。ほかが保母さん先生野球選手、とあるなかでそこだけ浮いて見えた。まあ、そうだろうが仕方がないな、と思ってはいた。
しかしその思いから発して、ずっと考えて来た気がする。そして何かをとことん極めたい、という思いもどこかにあった。
憧・道楽、といったようなものだろうか。
それはどこかそういう思いで物事に取り組んでいる自分に酔った気持ちもある。そこは危険な気がしている。
執着の心や 娑婆に残るらん 吉野の桜 更科の月
前述の本に紹介されている山崎景貫の狂歌である。物事には執着や欲が原動力になっていることがらが多いが、それはどこかとことんさもしい。美しさであってもそうだ。
そんな気持ちに気づかせていただいたのが池田晶子さんの本なのである。確かに氏にもそのようなものがあるようにも思える。
自らの読者への愛、同士たる編集者への信頼、そして愛犬への愛。
しかしそれらはどこか”一回行って、帰ってきた人”の深い理解があったうえでのものであることも感じられる。
真剣にこの”生”に驚き、真剣に付き合っている。
しかし、地球大、宇宙大の視線を持ちなさい、その視点から見れば所詮この世はこともなし。
”人間の”世でさえもない。
同じく前述の本にあったことば、
”虫けらは やはり自分の 世と思い” 阿部佳保蘭
結局生きてうごめく範囲でしか、人は人ではないのである。
そんな境地に導いてもらったことは、知的生活に憧れる精神的高校生から脱することができていなかった自分に、ふと差し込んだ慈悲の光、蜘蛛の糸、だったのかもしれない。
まあ、折角の蜘蛛の糸、掴んだまま登れてはいない気がするのだが。
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あとこれも読んでいる。
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人に物(財産)を贈与する、ということは、自らの魂の一部を与えるものでもあり、そこには贈ったものと贈られたものの関係が永遠に続く。贈与とは支配関係を生み出す仕組みなのである。
これは支配する気がなくとも、受け取った人間は終生そのことを忘れられない例だろう。高価な贈り物、というもののより生々しい仕組みが、プリミティブな社会でどのように発展してきたのか。
そのような視点でみれば、そうした贈与者のしがらみを断ち切る貨幣制度の真の意味合い(全部ではないにしろ一面として)が改めて感じられた。