夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

心。 そして早く出してほしいぞ、”死とは何か””私とは何か”BY 池田晶子

運命を拓く 天風瞑想録(講談社) 中村天風 P.120より

 大いなる哉 心や
 天の高さや 極むべからず
  而(しか)も心は 天の上に出ず
 地の厚きや 測るべからず
  而(しか)も心は 地の下に出ず
 日月の光や こゆべからず
  而(しか)も心は 日月の明の外に出ず
 天地 我を待ちて 覆載し 
  日月 我を待ちて 運行し
 四時 我を待ちて 変化し
  万物 我を待ちて 発生す
  之を 最上道 と名づけ
  また 無上菩提 と名づけ
  また 正法眼蔵 と名づけ
  また 涅槃妙心 と名づく

人間の心は、広大無辺の宇宙より大きい。

宇宙のことを考えるのが大好きだ、と言った池田晶子さんのことを思い出す。

実はこの詩は、別の書物を読んでいて気に入っていたのであるが、”運命を拓く”でも取り上げられていて、思わず書き写した。

玄侑宗久氏の"私だけの仏教”に、出典も含め載っている。
栄西の興禅護国論にあるという。
少し違っている部分があるので、こちらも書き写す。

大いなる哉、心や

 天の高きは極むべからず、しかも心は天の上に出ず
 地の厚きは測るべからず、しかも心は地の下に出ず
 日月の光はこゆべからず、しかも心は日月光明の表に出ず
 大千沙界は窮むべからず、しかも心は大千沙界の外に出ず

 それ大虚か、それ元気か
 心はすなわち大虚を包んで、元気を孕むものなり
 天地は我を待って覆載し、日月は我を待って運行し、
 四時は我を待って変化し、万物は我を待って発生す。

大いなる哉、心や

氏はこの詩が大好きだとおっしゃる。僕も大好きになった。
微妙なバリエーション違いの詩を見つけたが、どちらもいい。

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ソクラテスプラトン)の言った"哲人政治”に関しては良く知らない。字面だけを見て、哲人が政治を行うものと理解している。哲人しか政治という獣を飼いならすことができず、しかも統治される側もすくなくとも哲人のことを理解して、納得して、支持することが条件である、という風に理解している。
したがって非常に困難で時間のかかる、だからして”理想”の国家なのだと理解している。

現実の政治のことを考えるのはあまり好きではない。端的に時間の無駄、と感じる。発生する出来事で、感心することは殆ど無く、わざわざ怒る必要も感じない。勝手にやれば、である。これは昔からそうで、”選挙にいかねば”といわれて、”お、なんか納得する理由言ってもらえるのか”と思っても、"国民の義務”とかいわれるばかり。なぜか、という理由の本質的説明はついぞ聞かない。

・・・ということで、やってきた。これは"神”や”宗教(主に葬式)”に対する態度と自分の中では同様であった。

・・・のだが、最近すこし違って来た。

いつもいつもですみませんが(なにに?)

池田晶子さんの文章を読んでである。池田さんも政治には興味がないという。小林秀雄も政治というのは飼いならすのが困難な獣であるという。

そんなひとが文部大臣(当時)になってやるという。
これはなんとも根が親切で放って置けない性分である池田さんの、
政治はいけすかない、という前提でもって敢えておっしゃった、いわば”哲人政治"開始のための一言であろうと理解している。

何故にそんなことをいまさら。

いや、僕は経済学部の単位を取らせてもらって学校を卒業した口だが、”経済”という響きが好きではなかった。霞を食って、絵を描いていたいな、と心では半ば本気で感じており、こんなことを感じているようでは実社会ではどうなのか、と一方で思っていたのである。

つまりなにが言いたいのか。経済学に関してはなにも覚えてないよ、ということがいいたいのである。

が、ケインズという経済学者が有名であるくらいはなんとなくわかる。
そのケインズが、理想とした政治は、”知的な人びとの小さな集団”によって、合理的になされる、というものであったということを最近知った(ハーベイロードの前提、というらしいですが)。

そして、現実の政治は賢人ではなく、たとえば地方の利権を代表することで政治家に職業としてならせてもらったような人たちがメインであると、個人的には理解している。

どこの国でもそうであろうし、そういう部分はノーベル経済学者のブキャナンも批判している、という。
  (日本経済新聞 3/16 平田育夫氏の記事より)

これを読んで、ああ、ケインズっていうのは、現実の経済に関する学者だと思っていたが、理想はソクラテスといっしょやん、と思ったわけである。

そして池田さんが(なかばヤケで?)おっしゃった政治の本当にあるべき姿、というのが、やはりみんな結局は分かっているのではないか、要はいつ、どのようにやるのか、ということに尽きるのではないのかいな、と感じたのであった。

で、ちょっと、経済学、というか、ケインズさんに親近感を持った、というわけである。

運命を拓く 天風瞑想録

運命を拓く 天風瞑想録

私だけの仏教 あなただけの仏教入門 (講談社+α新書)

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雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)

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雇用、利子および貨幣の一般理論〈下〉 (岩波文庫)

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で、タイトルの話になるのだが、指折り数えて待っているわけですよ、Amazonさん。4月2日と4月4日の発売ではなかったの?
”私とは何か””死とはなにか”。

2日は朝からどきどきわくわくして、名古屋駅三省堂に駆け上がって、”あれ?”

気を取り直してジュンク堂へ、”あれ??”

ないやんか。

どないなっとるのかっ!!!!?????

”魂とは何か”がいっぱい積んであるぞ、三省堂

現在手に入る殆どの池田本が並んでいるぞ(素晴らしい!!)、
ジュンク堂

この両店でないとすれば・・・発売が延びたとしか思えん。

帰って講談社等のサイトを見ると、4月7日(2冊同時かな?)の発行のようだ。

これはアマゾンさんのせいなのか、出版社のせいなのか。

まあ、待ち遠しい時間を貰えた、ということで。
と自分を納得させつつも。

はよせんかい!!!!!

という気持ちありますよね。

死とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

いや!こうして商品挿入してみたが、発売日過去日になってんぞ??!本当はもう発売しているのか????

最後まで大慌てである。