夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

スフィンクス。

今日の体重66キロ、体脂肪率は7.2%。クリスマスイヴは家族とスパゲッティを食べたが、パン食べ放題だったので、つい食べ過ぎた。最近はあまりグルテンフリーは励行できてはいないのだが、まあ、こんな日はいいですよね(ごめんなさい、これ年末に書いてます。。。)。

さて、私このnoteでもよく幻獣の銅版画イラストを上げさせていただいているが、その中でもスフィンクスは別格である。

私のなかではギュスターブ・モローの有名なスフィンクスの絵を見たときに、こんなに魅惑的な絵が西洋絵画では評価されているのか、と衝撃をうけ、即座にモローファンになった。

そして人生百のテーマ(テーマを100個持っています)の中に、モローが死後の自宅を国家に寄進して美術館となっている、パリのギュスターブ・モロー館に一生に一度は行く、という当時の感覚では遠大かつ実現の難しそうなテーマを織り込んだ。

この人生百のテーマ、テーマとして捻出し、書き記し、何度も見てゆくことで、自身の日々のアンテナがその方向に立ってゆく。さまざまなチャンスをその立てたアンテナで自分なりに取り込んでゆくことになる。一つではなく100なので、さまざまな方向から日々の気づきや変化が生まれる。

ということで、結構役に立つ考え方である。この考え方は、ロバート・ハリスさんの本で知った。

不思議なことではあるが、仕事で一度だけパリに行く機会があった。1日観光の日があるというので、迷わずモロー館をメインで動いた。凱旋門も、ルーブルもサブキャラ扱いで駆け抜けた。モロー館では上から下まで目を皿にした。

この館はモローが死んだときは、弟子のルオーが館長を託されたというが、その時は今のようにモローが十分評価されていなかったともいう。ユイスマンスあたりの紹介でジワリと評価され、ここ極東の地で私もモローに邂逅することができたのは、本当にありがたい。

銅版画家で好きな画家は我が地元神戸出身でらっしゃる故山本六三さんや同じく神戸在住のアルフォンス・イノウエさんであるが、この両巨匠にも素晴らしいスフィンクス画がある。

ギリシャ神話では、朝昼晩の足の謎を解かれて、崖から身を投げた、といういささか単純なキャラクターとされているのだが、さて、なぜそれだけのことで身を投げるのであろうか。

いわゆる神獣であり、知恵を駆使する存在であるのに、なぜたった一問で絶望するのか。深読みすればあるいはいわゆる「自分を止めてくれ」または「死を得るためにある条件がないとダメ」というような条件が付けられていた、というようなことも考えてみると楽しい。死にたくとも死ねない、いわゆるさまよえるユダヤ人や、人魚の肉系の話のバリエーションというわけである。

ギリシャ神話の神獣・妖獣たちはいささか傲慢なオリンポスやティターン神族たちのわがままで苦労する人間が関係したり、変化することが多い。神話を読めば「神はめちゃくちゃやんか(´;ω;`)」という感想しか出てこない。

まあ、そうしたテーマ(神様めちゃくちゃですやん)を得て楽しくお絵かきをしているのだが、神を自然の無慈悲の象徴と見るよりは、個柱の神格を敢えて個別で額面通り受け取るのが個人的に気に入っている。

(なんかテーマがあると、それに沿っていろいろ考えられていいですねー)