夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

高峰秀子。

没後1年になるという高峰秀子であるが、養女になられた斎藤明美さんの著書と、芸術新潮の特集号を読んだ。

高峰秀子の捨てられない荷物

高峰秀子の捨てられない荷物

芸術新潮 2011年 12月号 [雑誌]

芸術新潮 2011年 12月号 [雑誌]

僕自身は高峰秀子の出演した映画をあまり見た記憶がなく、ただなんとなく引っかかっていた程度であるが、古本で芸術新潮を見つけてなんとなく購入(古本の芸術新潮は結構動くという気がするので)、絵本等を返しにいった図書館で斎藤氏の本をなんとなく借用、昨日ぱらぱらとめくっていたのであるが、これは大変な本であった。

まず高峰氏の経歴。栄華を極めた女優、というイメージでいたが、とんでもなかった。好きでもない子役がいそがしく小学校も満足にいけず、字は恩師が運んでくれた絵本で独学をした。どんなことをしても専門家が舌をまく才能を示すが、学校にいけなかったので引き算でも苦労する。そんな自分にコンプレックスを持ち、とにかく本を読む。自分を食い物にした養母を”デブ”と呼ぶ。上品で抑制の効いた人柄の彼女があえて”デブ”と。そこに底知れぬ苦労が見える。
なにをやっていても日本一になった、と称される才能。そしてそれゆえの苦労。女優、という仕事がどうしても好きになれず、しかしやる以上は仕事として全身で取り組む。
そんな生き方を貫いた人を、その懐にふと飛び込んだ斎藤氏の筆はときほぐして見せる。編集者と執筆者という関係から最後は養女となる過程も読みどころである。

実はまだ最後まで読んでいない。その後10年ほどして高峰は亡くなるわけであるがそこの部分は芸術新潮が埋めてくれそうだ。

いずれにしろ、これからは高峰氏の随筆を読んで見ねば、と思っている。

巴里ひとりある記

巴里ひとりある記