夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

松本龍元大臣について思う。

いささかもう古い話であるのかも知れないが、松本龍氏が復興相を辞任した。

非常に違和感を持った出来事であり、一体どうしてであろうかと感じたので理由を考えていた。内田樹先生のブログを拝見すると、このことについて書かれている。たぶんなにか書いてあるだろうと思って行ったのだ。

僕が内田氏の書かれたものを信用するのは、そのスタート時点が人を論破するためではなく、日本を、この世を、よくするために正しい仕儀はなんであろうか、という視点にあるところだ。その立ち位置がすがすがしいと思うので読む。そして物事の分析がはっきりしておりわかりやすい。MECE(抜けが無いように)を意識されているのか、納得感がある。今回もすっきりした。

その論旨は、
1.内容は問題ない。
2.どちらかがボスかをはっきりさせるマウンティングを行った。
3.マウンティングにより、なんら知的に相手のパフォーマンスがあがり、相互で良い関係や結果が生まれることはない。
4.そのことをたぶんしりつつ、復興という局面で、どちらがボスかをはっきりさせることを最優先課題とした松本氏は、たぶん良くある政治家なのであろうが、センスが悪すぎる。

僕なりに内田氏の意見をまとめるとこんなところか。そこには相手や東北を良くしよう、という思いよりも、大臣となった自分の優位性を明確に示すことのみを最優先する人物がおり、そのことが腐敗臭となってあの気分の悪い画面になったのであろう。

しかし、それほどまでになぜセンスが悪いのだろうか。人は他人がマウンティングをし、自らの優位性を確立しようとしている姿を見るのが、心地よい、なんと力強いリーダーなのか、と感心するものだ、と思っているからのあのパフォーマンスなのだろう。”全国区をオレのファンにしてやる”。そんな彼の思いが伝わるようだ。

しかし、どう考えてもありえない。あの画面を見て、非常に気分が悪かった。

結局は井の中の蛙、ということなのだろう。古くからの政治家の家系であると聞く。生まれてから今まで、周りからそのように扱われ、自らのパフォーマンスを都度誇示せねばならなかったのかもしれない。そういう意味では自らの地位を死守する技術はあるとも言える。

しかし、そこに東北や日本を良くしよう、という思いが入り込む余裕は、たぶんないのであろう。そういうところは、怖いぐらいに画面に映る。こんなヤツのことを見たくない。そんな思いが共通であふれ出た。まあ、そう考えると今回のケースがよくわかった気がした。

しかしまあ、なるほど、このような人物であれば復興も出来るなあ、そんな思いになるような人物はなかなか居ない。やはり哲人政治、しかないのであろうか。しかしそこには哲人が必要だ。池田晶子さんがもし大臣となっていたなら。あらためてそう思う。

たぶん身を捨てて働かれるのであろう。”どうしようもなくおせっかい”。
寸鉄人を切るようで、結局は突き放さずに殺して生かす。産婆術ならぬ死後再生術。

そして問う、”あなたは死とはなにかを知っているのか”

2000年後の人類のことを思う本当の言葉をもったそんな人物がいれば・・・。

でもご本人は相当面倒くさいだろうなあ。
そして深い意味を持った言葉がはじめは理解されないであろう。

だが根底にある、「善く生きよ」、自らのこの奇跡のような生きているという事実を直視せよ、そんな思いを真にみんなが理解できたのなら。

そこには真実の復興がある気がする。