夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

2010年。

2010年が始まった。

今までは元旦に早起きして神戸の実家に出かけるというパターンであったので、大晦日は早々に寝ていたが、本年は元旦は家にいることになった。

ということで、見た。紅白歌合戦。みんなが見ているから、という理由で見るには、育った環境がそれを見ていなかったことによりシフトチェンジできずにこの年まできた。演歌がどうも苦手、ということもあった。視聴率が上がった、下がったということで大騒ぎしているのを見て、どんなものか、という思いもあった。

それを見て見るかとなったのはなんであろうか。視聴率が下がった、ときいて、というのもある。結局自分の中で視聴率に振り回されているのか。それもある。ユニクロの話をすれば、いつのまにか上から下まで全てユニクロ、となっているのだが、”いやあ、ユニクロ15年前から利用してますから”。人と差別化したいのは、人との比較に囚われている。なんだか分からないが、売ってたので買った。なんだか分からないがやっているので見た。そんな境地に少しだけ入ったので、もういいかもしれない、という感覚があるためか。

こんな言い訳をしてTVは見るものなのだろうか。近年は池田晶子さんがTVはほとんど見ない、というのを聞いて、そうか、というのもあったかなあ。現実問題として居間にTVがあるので、子どもが宿題をしていると見れない、というのもある。

そんなわけで、見たのだが、見事にだれがだれかわからない。

勿論大御所はわかる。歌は基本的に好きであるので、初めて見る歌手ばかりでも面白いことは面白い、生放送ならではの司会の妙に、急に振られたゲスト審査員のコメントに、会社で、忘年会で、の司会時の自分のコメントが重なる。”うまいなあ””外さないなあ”。

タレントとは当意即妙な受け答えができる能力。そんなことも思う。巨人の原監督。ホレボレする。にこやかに、さわやかに、外しそうで全く外さない。その場でその催しの流れに沿ったことばをいいタイミングで通り一遍ではなく多くも少なくもなく述べる。アナウンサーより柔らかく。

しかしうますぎるような。うらやましい。忘年会での一言に、すべりまくる自分を思い出して、すこし悔しくもなる。

ジャニーズ陣の歌を見る。OB連の麻薬逮捕報道を見るに付け、アイドルも引退後は大変だなあ、との思いを持ってみている。プロ野球選手も大変だ。引退後の職業はさまざまであろうし、飲食業も大変だ。相撲取りも同じ。僕がプロレスが好きなのはこんなところだ。観客は衰えたレスラーでもお約束を積極的にプラス要素としてみることができる。これは歌舞伎や伝統芸能と同じだ。世間的に高級感がないところもいい。本音で見ることができる。僕はプロレスがすきです。そういうことで、他のプロレス好きと瞬間的に思いが通じる。そうかカミングアウトしたんだね。

まあ、紅白を見ず、関西人なのに阪神ファンでもなく、そもそも運動が苦手で、野球(そのころサッカーはあまり人気なかったが)もできず、マンガやプロレスが大好きである。本を妙に読んでいたりする。好きな本しかよまないが。日本の歌より外国の歌。意味はわからないが。そんな人生であったなあ。

新年らしく振り返ってみているが、まあ、好きなようにしてきた、嗜好の面で人に媚びることはなかった、という思いはある。自分の時間を媚びてどうする。しかし、そんな親を持って、子どもたちにはちょっと申し訳ないような気もする。でも血が怖い、とみんながいうから、我慢してるんだぞ!

伝統だからやる、というのはどうかと思っていたが、その中に何も考えずに入ると面白い、というのはある。初詣や季節の行事。季節の変わり目、桜や日々の変化が美しいと感じる、なにより日の出が美しい。そんな風に人は感じてきたのだなあ、とわかる。この年になって分かることがある。人とは年齢である。アンチアイジングに対して池田晶子さんはそんな風にひっくり返して見せてくれたが、そんなことを日々実感してゆく、そんな新年になりそうである。

暮らしの哲学

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詩と真実 (第1部) (岩波文庫)

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