「神々の後を追う如く、その人の後を追う」。
自らを精神と自覚する者にとって、自らの内面深く呼応する精神が、北極星のようにそこに立っているのを見出し、どうしてそれに魅了されないことがありましょうか。
池田晶子 人間自身 考えることに終わりなく P.88
自信を持って、本名で、"臆面もなく内面をさらけだして”、なんら恥じるところがない。
なんか文句あるの
という啖呵が聞こえてくる一種爽快さを感じつつ、実はでもほほをほんのりそめているであろう。
池田晶子さんが小林秀雄への種々"精神的恋文”をものされたものを読むときに感じることである。
どうしようもない、”あくがれ”。
そして自らが精神であると自覚しきれない半端な魂もまた、あくがれ、魅了されないことはないのである。