森茉莉。 記憶の絵。
いつか読むかもな、と思って、BOOK OFFで(奮発して)400円で購入して、本棚に放りこんでおいた本である。
そんな本が文庫だけでも一棚分できてしまった。
”いつか読むエリア”
105円に落ちてきたちくま文庫や、岩波文庫が多い。岩波は書店での買取制度(つまり売れないと書店の負担)が災いしてか、硬くてとっつきがわるいのか、BOOK OFFではなかなか105円では出会えない。最近は105円でなくとも、遭遇度の低い岩波は、意識して買っておくことにしている。そして、”いつか読むエリア”に入れておく。
しかし、いつか読みそうな名著がやはり多くて、最近では中村元の”ブッダのことば”が秀逸であった。
連続5巻中4巻、なんてのは、そのうちそろうかもな、と思って購入しておいて置くのは結構嬉しいものだ。
なにか、庭に食べた果物の種を植えたら、生えてきた、というときのようなわくわくに似ている、気がする。
(ついでに言うと、いつも巡回しているBOOK OFFの店とは別に、たまにローテーションに入る店に久しぶりにゆくのも愉しいものだ。なにか宝探しは大げさでも、山へ栗拾い、あるいは昆虫採集と同じような心持ちがする)
昔は国語の教科書に出ている本は、愉しみではなく勉強であると見えたので、そういったものではないものに面白いのものがあるのを見つけるのが読書だ、と決めていた。
従って、有名な作品は教科書に載っているもの以外は殆どといっていいくらい読んでいない。ブンガクとして祀り上げられるとどうしてもそうなるのではないか。
明治の文豪、森鴎外も、読んでいない作者の一人だ。確か高瀬舟を国語の教科書で読んだような気がするが。
例えばラフカディオ・ハーンや永井荷風、三島由紀夫などはその特殊性や幻想性に気付いてからは、積極的に読むようにはなったが、森鴎外、はまだ来ていなかった。僕は読書が好きだったのだ。好きな時間を、人に指示されたり、勉強のため、ということで使ってしまうのが、惜しかったのだ。悔しかったのだ。
しょうもない、矜持、なのかもしれない。
岩波書店、というだけで、少し説教臭い気がしてしまう。
それがあまり気にならなくなったのは、やはり少しは年を経たからかもしれない。
森茉莉、が気になったのは、その変人振りとその嗜好、を知ってからであったろう。不器用な女版永井荷風、という印象は、この人が年を取ってから、ひとりで買い物に行き、凄く食べ物に拘っており、いわゆる”ハイカラ”な趣味、それもただ事ではなく、という情報をなんとなく得てからだった。そして凄く貧乏だったりしたが、精神は貴族、というのも、気になった。
方向としては、僕も目指したいところ、だったりするからである。
襤褸は着てても心は錦、というのは和風だが、
ユニクロを着ていても、精神面では貴族でいたいものだ、
あわよくばそれが外見ににじみ出ればもっといいのだが・・
なんていう突拍子もない、こっぱずかしいことを半ば本気で考えているところが、自分にはある。
そしてこれは自分の幼児性のしっぽ、のようなものかもしれないと思っている。
そんなところが、意地っ張りで、わがままで、そしてもしかしたら自分だったかもしれない、というか、そういう境遇なら自分もそうなったろう、という感覚を、森茉莉に対して持ってしまったわけである。たいして文章を読んだわけではないのだが。
森茉莉の描く、パッパこと森鴎外、いや、森林太郎といったほうがいいか、にも、大変親近感を覚えたわけである。
結構、俗物。
というか、ぜんぜん文豪という印象はなく、普通の大甘の父親。
まあ、考えたら世間的に有名でも、家にいると基本的に人は父親であり、パパであり、夫であるわけであるから、当たり前なのであるが。
貴族好きで、なんでも"上等”がすきで、異常に清潔好きで。
降誕祭(クリスマス)には、2日がかりで大きな木を据え付け、根元には子供達へのプレゼントを積み上げて祝う。
謹厳実直な明治の軍医総監というイメージが、ぜんぜんない。
まず、ここでしびれた。
- 作者: 森茉莉
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1992/02/01
- メディア: 文庫
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