夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

検印は本当に作者が押したのか。

開館早々の図書館へ行った。

開館直前は、ドアの前で待っている人々がたくさんいて、その中に入るのはちょっとイヤな気がして、車の中で足を伸ばした。

3-4分くらいか。

最近はまっている、絵本関係、ユングの借用期間延長。2つの手提げがいっぱいになった。

帰ろうかとすると、リサイクルコーナー(ただで本がもらえるコーナー)に青年が。全集ものの片割れを提供するようだ。

余り期待せずに出口そばの低い書棚を見てみる。やはり古い文学全集のようだ。あ、荷風全集の片割れが横でこちらをのぞいている。

ばらばらだが、4冊ほど、小説と詩(荷風は詩も書くのか?)の部分をもらうことにする。最近は文庫より単行本を良く手にする。重いがしっかり読める、気がする。

全集を見ていて思いついて1冊1人の作家名を見る。あった。

小林秀雄

文庫等で持ってはいるが、しかし、もらっておく。なんとなく、いろいろな形態で読むのもいいかな、と思う。読んではいても本の手触りが違う。掲載順が違う。これは結構違う部分ではないか。

帰宅して、奥付を見る。昭和39年、40年頃の発行。あ、荷風のほうは検印があるなあ。

もしかすると、荷風は、自ら検印を押していたかもしれない。家族で押していたかもしれない。出版社の社員だったらロマンがないが、印税を管理する、という検印の意義からすると、出版社側の人間が押すことは案外なかったのかもしれない。

作者自身がもし押していたなら。

サインではないが、作者の手を、時間、空間を経て感じることができるような気がする。

荷風全集、4冊とも全て違う判子であった。

”永井””荷風散人””荷風””断腸亭”。

さすがは荷風、たまたまかもしれないが購入者へのサービスがいいなあ。と思ったが、荷風は昭和34年に亡くなっている。

ちょっと残念ではあった。