夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

生まれながらの・・・。

生まれながらの、傾向、というものは、あるのだろう。

自分、というものが何か、
これが自分なんだ、と深く自身で納得できるものを
探そう、という気持ち。

世間にマッチしないから、と逃避の意味での”自分探し”とは別の。

歴史を単なる知識ではなく、1秒前の、1年前の、10年前の今の自分ではない過去の自分と同じように、100年前、1000年前の自分であるかのように生き生きと感じることが、自分を知ることと即ち同じである、と小林秀雄は言った。

自由を感じる人間は、時間空間を越えた自己への感受性を持っている、とフィヒテは言った。

そして更に言った。

君自身に還れ。君の外にあるものすべてから目を向け変えて、自分の中へ還れ。
これが哲学というものが哲学者に対してするところの第一の要求だ。

と。

そのときに見えてくる宇宙とは、真空に物体としての星がばらける死の空間ではなく、秩序を持つそれは古の神話と調和する姿に似たものとなり、

桜は連続と永遠を体現し、

日本人に生まれたわれわれはたまたま日本人であり、
彼は我であり、かの人はまた自分であったりする。

哲学と、宗教と、芸術は、絶対精神を希求し、希求しつつ、
希求しつづける。

その中で、自分はやはり論理より、宗教より、美から自分自身へと
還る道が一番合っている、と端的に感じている。