夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

アウトサイダー。

芋づる式に本を手にする喜び。

そもそも、コリン・ウィルソンの”アウトサイダー”は内田樹氏のお薦めだった。それを読み、今度は小林秀雄がらみで河上徹太郎の”日本のアウトイダー”をこのたび購入。

開いて読めば、この本はコリン・ウィルソンアウトサイダーに触発された本であるという。外国ではこうだが、では日本ではどうか。

高峰秀子の”巴里ひとりある記”を読めば、宇野千代の泊まったホテルに宿泊、と来る。宇野千代とくれば、”私、死なないような気がするの”という一言を池田晶子さんが引用している。

そして宇野千代は5歳年下の小林秀雄をひどく尊敬し、生原稿を自ら装丁。

緩やかに、繋がっている。特にわざわざ選んでいるわけではないのだが、気がつくと、繋がりがある。

同世代を生きた人の残したものを見ているからかもしれない。同世代には当たり前の話題なのかもしれない。それを、今の時代に、僕が見ている。

あたかも神話時代の物語のように。


プラトンによりソクラテスを知って、人間の精神生活は今とまったくかわらない、あるいは逆に退化している、ということがわかった。

ただ、遺す技術が少なかった。ギリシャ時代の彫刻の月日の影響を眼でみると、余りにはるかな過去、という思いがしていたこともある。

しかし、精神はほとんど変わらないのだ。

この2000年、人類は一体何をしてきたのか。



そもそも”進化”とは何か。



小手先の技術が発達しても、中身はむしろ退化している。

だがそれはただ生きているだけではなかなかわからない。




池田さんはいつもおっしゃっていた。この世に不思議はなにもない。

一番の不思議はこの生。自らの生。


みんながわかりそうでわからない、”真実”を告げる巫女の口。


・・・すこしは進歩があったのかもしれない。

宇野千代 女の一生 (とんぼの本)

宇野千代 女の一生 (とんぼの本)

日本のアウトサイダー (中公文庫 R 9)

日本のアウトサイダー (中公文庫 R 9)

アウトサイダー (1957年)

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巴里ひとりある記

巴里ひとりある記