夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

クリスマスの夜に。

クリスマスである。

正式にはイヴ、というべきか。

こうして一人きりですごすイヴ、というのも、考えたら久しぶりな気がする。

こんな夜を過ごしていると、人生にはいろいろな転機があるなあ、としみじみ思ったりする。

少し早いが今年度を振り返るのなら。


単身赴任、という名の一人暮らしが始まったこと。

7年間を過ごした”総務部門”から、営業部門へ戻ったこと。

戻ったというが、職責は当然前とは違うわけであり、どちらかというと平穏で規則正しく過ごした日々が、入り乱れる日々へと変わったこと。


時差、という要因、飲み会、という要因、出張、という名の移動により、落ち着いて考える時間、みたいなものはいささか取りにくい気もしている。

だが、たぶん、そのあたりは気の持ちようだ。


たぶん、このブログという名の日記は、総務部門に移ったころに書き出したような気がする。

自分の時間、というようなものが、すこしずつ持てだしたころだ。


インプットに対し、なにかを吐き出したい、というような気持ちが芽生えた、という時期でもあったろうか。


リズムを取るのはむつかしいのだが、だが、”前と比べて”という思いは禁物であろう。人は自分と人を比べてはいけない、ということに思い至るかもしれないが、自分と過去の自分を比べることへの禁忌はあまりないのかもしれない。

だが、自分であったかもしれないが、いわば過去の自分は”今この瞬間とは違った自分”だ。

例えば、若く美しかった自分と、今の自分。


そんな風に比べてしまうと、それが過去に自分であったものであるだけに、余計にややこしい比較になる。そして、”落ち込む”。

気をつけなければ。



だが、この転機を楽しむ、あるいは有意義にする。


これが今年からの自分のテーマであるだろう。


この東京、という地区、探せばいろいろな可能性があるだろう。

とにかく、いろいろなものがある。

だが、こうして住んでみると、どうも”飲み込まれまいとして気にしない自分”モードになる。

刺激を、あえて感じない、というのか。



慣れ、というものなのかもしれない。



例えば、若い時分に接した外国の新鮮度は、年を取ってからの旅行で得るものと比べ物にならないくらい大きい。

とか。


だが、それでいうのなら、この”生きる”。


池田晶子さんに教えて頂いたことでいうのなら、”この驚くべき生”。

この不思議さに比べたら、UFOや幽霊がなんだというのですか。



とりあえずは、本年も来年も、そんな気持ちでもって過ごすことにしたい。


生を、この”はじめて経験する年齢”を。


こうであったのか、という思い。

こうであったよなあ、という思い?


・・・を噛みしめながら。