高倉健さんのインタビューで、こんな言葉があった。
”人に気をもらうからこそ、自分が動けるんです。”
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高倉健というひとが気になったのは、その繊細にして孤高、そしてナイーブとでもいうべき内面をそのエッセイから感じたからである。
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誠実であること、自らにストイックであること。美学とでもいうべき独自の境地。
世界的名優である以前に、人としてこうありたい、という強い思いをお持ちであると感じ、そんなところが人を惹きつけるのだろうと思うのである。
健さんといえばROLEX。それを所有するだけではなく、人に贈る。
高倉健氏から貰ったというだけで、そのROLEXは特別なものと化す。
恩寵、という言葉すら浮かぶ。
そこで、冒頭の言葉と繋がる。人から気を貰うということは、自らも気を渡すことが前提である。映画、というもので、広く気を送っているのに加え、自らの”気に入った”ものを、節目でお世話になった人に贈る。
そこで大きな”気の交流”が生まれ、続く。
人と人との繋がりはそうしたものだと思うのである。
すこし話が飛ぶが、人と人との繋がり、という意味では思い出すのは小林秀雄と中原中也。
女性を巡りスキャンダラスに取り上げられることが多いが、勿論それを抜き難く孕みつつ、小林の複雑な思いを感じるこの詩を引用したい。
秋深まるこのごろ、味わい深い詩だ。
”秋の夜は はるか彼方に
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・”
詩が、これほど鮮やかに眼前に情景を想起させる力を見せる例をあまり知らない。
さらさらという音が聞こえるようだ。
言葉を、五感と語感を研ぎ澄まし、それだけではない”大気の気”とでもいうものに感応しなかれば、
このような詩は生まれ得ないと思う。
そんな感受性というべき魂のアンテナを持つこと。
真剣に生きる、ということはそんなことにも繋がるように思う。
死した朋を想い、この詩を万感の想いで引いた小林の想いを想いつつ。
高倉健氏の言う”気”とは、言い換えれば”縁”、ひととひととの魂の交流のようなものだと思う。
例えば池田晶子さんの著書を通じ、僕が小林秀雄を改めて感じ、そして中原中也の詩をこうして引用する。
そんなことも、文章のなかに厳然としてある”気”のなせる技であろう。
肉体は滅んでも、魂は滅びず。そしてその”気”はその著書に宿る。
そんなことも考えています。