正直者は馬鹿をみる、と言っているときの人の顔は、とても卑しいだろう。自分は正直である、とわざわざ人に言い募る。その必要がどこにあるのか。
自分は馬鹿をみるような人間ではないのだ。わかってくれ、自分は人に誇るような正直なよいことばかりする人間だ。
そうアピールした時点でうさんくさいことに何故気づかないのだろうか。自らの弱さのアピール。
”他人に向け侮蔑的に言われる時より、自ら自嘲的に言われる時こそ、この言い回しはより欺瞞的になるだろう。しかも人は、自らを欺いているとは気づかないふりをする。そしてやがて自らを欺いていることを忘れる。しかし自らを欺くことが魂にとっての幸福であるわけがないではないか”
心に感じていた違和感をこうも見事に言い表している文章に出会って、僕はこの作者は全面的に信用できると思ったのだった。
何故こうした真実を書いた文章がこうもすくないのか、思わずコピーをして手帳に挟み込んだ。
折に触れて読む。昨日のように落ち込んだ時に、読み返してみる。
本文は、小林秀雄の同じタイトルの文章への、返歌、のようなものであるから、本歌である小林の文章も同じくコピーして並べて挟み込んである。
そうだ、自分はこうした"正直者は馬鹿を見る”といった言葉を聴くのがいやでいやで、そんなことを言う人間にはなりたくないと思ってきたのだった。そんな人間になるのであればむしろ無自覚に”不正直”であるほうがいい。魂がすっきりしている。
そう感じてきたんだった。
改めてそんなことを思い出した。
広島から名古屋へ向かう新幹線の中だった。
引用 池田晶子”新・考えるヒント”
二.プラトンの「国家」 より
- 作者: 池田晶子
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