夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

溜め。

 “溜め”とは貯金など、金銭的な余剰分だけを指すのではない。頼れる家族や友人などがいるのも人間関係の“溜め”であり、自尊心や自信などを持っていることも精神的な“溜め”となる。貧困とは、単に「お金に困っている」だけでなく、あらゆる“溜め”が失われた状態だというのだ。

〈三層(雇用・社会保険・公的扶助)のセーフティネットに支えられて生活が安定しているとき、あるいは自らの生活は不安定でも家族のセーフティネットに支えられているとき、その人たちには“溜め”がある。逆に、それらから排除されていけば、“溜め”は失われ、最後の砦である自信や自尊心をも失うに至る。“溜め”を失う過程は、さまざまな可能性から排除され、選択肢を失っていく過程でもある〉

 こうした個々人の“溜め”は、傍からは見えにくい。自己責任論を持ち出す人は、多くの場合、自分の努力や大変さだけにスポットを当て、偶然にも自らに備わっていた“溜め”の存在に気づいていないのだと著者は指摘する。そして、誰だって〈がんばるためには、条件(“溜め”)が要る〉、と。

 “溜め”のない人間にいくら「がんばれ」とハッパをかけても、事態はなんら好転しない。それどころか、〈貧困当事者本人を呪縛し、問題解決から遠ざける〉という。


『反貧困』湯浅誠著(評:澁川祐子) より。

アキバ事件の原因のひとつが提示されている。

消えたと思って2回UPしてしまいました。