夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

川上未映子 乳と卵 を購入。

芥川賞芥川賞を取ったからよもうというのはあまり僕にはなくむしろすこし反感と、”賞?どんなもんやろ、お手並み拝見”的な感覚で賞味期限が過ぎてから(たとえばBOOK OFFで100円になってから)手にとるという感覚が、通常の受賞作品に対する僕のスタンスなのである。
しかし、川上さんは、池田晶子さんの賞、”わたくし、すなわちNOBODY賞”も受賞され、であればこれはよまんといかん、というふうに気持ちがすぐ変わるのはわれながら現金というかなんというか。
これが世間でいう思い込み、というやつか、徹底的に思い込みから自由になりなさい、と自らのこどもがいたら教育する、という言い方でわれわれを教育してくれた池田さんが警告していた世界にしらずしらず自分も絡み取られていたな、と。
やっぱり、自分がいいと思うものはいい、ということしかないのだろう。

でも、ちょっと斜めに見ていたほかの理由を考えると、最近は出版不況の所為なのかどうなのか、受賞者はどちらかというと話題も必要で、女性、若い、という部分があるほうが、仮にまったく同レベルの作品を書く能力があるのであれば、そういう付加条件があるほうが、これはもし自分が出版関係でゴハンを食べてます、というヒトであればそっちでお願いします、という無言のお願い、これが評価者というか選定するヒトにすこしは影響することがあるのではないか、いやこれも思い込みで、そんな選択はやっていないということか?

川上さんは文筆歌手という肩書きで活動されており、池田さんの賞を受けられたことを知り、ブログを見て、また池田さんの文を評した”池田さんの角度”というのが大変ずばりで、読んでいてそうそう、そうなんや、ということになったので、すっかりファンになってしまったな、という感じである。僕は結構ファンになってしまうのでる。

アマゾンとかで評価を読むと、やはり関東圏のヒトはちょっと関西弁が読みにくい、という感覚があるようだ。無理もないだろう。これは関西人が読むのとそれ以外のヒトがよむのと、だいぶ第一印象は違うであろう。
僕は神戸出身なので、大体は自分のモノローグに近い感じで読める。近い感じというのは、これはビミョウな神戸と大阪のことばの違いで、ほかの地区のヒトが聞くと差異は判別不可で
あるかもしれないが、当人同士は間違いなく感じるであろう、という差異である。
蛇足でいえばたとえば姫路とかの地区とも神戸の言葉は違う。ということで、あ、ちょっとこの言い回しは神戸ではいわへんな、という感覚をつど微妙に感じつつ、しかしこれは東京のヒトはほとんど読んでいてひっかかりまくりであり、疲れるかもしれんなあ、という感じ。

しかし、作者は大阪で生まれて、東京に住んでいる人で、自身のモノローグはこうであるかもしれないが、読者が大阪弁で受ける印象、というものは、日々感じながら過ごしている、という部分があろう。これは関西で生まれ関西で死んでゆくヒトには思いつかないことだ。僕も関西を出て名古屋にすんでいるからわかる。
したがって、言葉の違和感は、わざと、ではないが、自覚的、ではあるだろう。
そういう風に反応するよな、みたいな。

そういうことを事前にいろいろと思いながらよんでいる。

あ、もうひとつちょっと心理的に手がでてなかったのは、題材の女性原理、というか、テーマがちょっと読んだらヘビーかな、という印象があったのも事実である。自身が男である、ということで、これはどちらかというと同性をより意識した小説であり、読んでしまったら、つまり女子更衣室を覗き見してしまってスミマセン的な感覚を持ってしまうかもしれない、という恐れであったというのも、本音である。

乳と卵

乳と卵