夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

9月14日 共同体に在って自由であるためには

今朝は体重測らず(寝坊)。昨日朝は66.8kg、体脂肪10.8%。

 

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情報技術の発達で、市場から個人への評価が人々の目に見えやすい現代は、職場や地域の共同体から承認されることが大切だと言われる。

だが「共同体」は強者が得をするシステム。リーダーとその周辺は居心地が良くても、弱者には地獄。

求心力維持のために敵を作り、攻撃することも起こりやすい。

物事に熱中し、共同体からの承認を一度忘れることが自由への第一歩だ。

 

「ラーメンと瞑想」宇野常寛 読売新聞読書欄講評 評者:武田裕芸

 

腑に落ちる批評であった。

 

小さな職場、特に社長が現場で絶対権力を持っている中小企業などは、基本昔の”王国”と同じだ。

スクールカーストもそう。カースト上位にいることは居心地が良すぎる(推測)し、カースト下位は地獄である。カーストからの転落や、下剋上もあるだろう。

いじめ、は格好の権力誇示手段であるので、いじめがだめだ、というのはカーストがなぜ起こるか(=人間だもの)、という次元で難しいし、いじめをなくすのは発生した場所のカーストの実情をよく見て対策を打つ(カースト王が顕在である場合、どのように持続的にいじめをなくせるのか、はなかなか個人的には絶望的な気もちになるのだが)必要があるだろう。

自国の政治に不安があれば、仮想敵国をつくり徹底的に糾弾して自国民の意識をそちらに向ける、ということはさまざまな国でよくある手段である。

職場の評価は、分かりやすくは人事だろうか。同期より早く出世、というにんじんは、有効であるがゆえに過酷でしんどいものである。そこに何十年(30年以上、40年弱だろうか)もしばりつけられて、心を削ることになる。

 

私が正直いわゆる中小企業がしんどい、と思うのは、社長が”王”であることに尽きる。王国では先王が無くなれば跡継ぎは先王の取り巻きを疎んで排除する。先王が良くても、跡継ぎがいいとは限らないし、2代目は”ぼんぼんそだち”故に、先代の番頭を煙たく思うものだ。

 

いわゆる”大企業”というものは、定期的に権力者特に”地域の権力者”の首をすげかえることが出来る。だが同族企業であれば、”大企業”の規模であっても、大企業的中小企業、であるだろう。王族が権力を取り戻すために、上場廃止、ということは普通によくあることとなった。

サラリーマン社長、がトップである大企業、が一番マシではないだろうか。そうはいっても学閥は強弱はあろうがあるはずだ。社長が次の社長を指名する場合は特に。

結局、集団というものは煎じ詰めればすべてがこれだ。

マシな人が集う集団に所属したい、これこそが学歴社会の根源願望であろう。

学歴、はわかりやすい入村資格であろうがゆえに、ここどう同圧社会日本で、結局は採用され続けるであろう。

多民族国家では、実質ないからだ(いまは)。

 

もちろん、そういった集団で、頭角をうまく表せる実力と人間力(同圧適応力)があればベストである。体育会経験、ルッキズム(それも美麗すぎない微妙なラインでの)などを持っていれば可能性は高まる。

 

 

ああ、しんどい。

こんな社会に疲れ涯るのが、サラリーマンのお作法であろう。

そこでどうやって自由になれるのか。

 

それはもう”人生の宿題”であるだろう。

 

FIRE?

未婚?

はたまた出家???

 

出家も葬式仏教であれば、カーストからは逃れられまい。公務員の医学界も、司法界も、昔からいままでずーーーーーーーつとカーストだ。

なり上がり、かなあ

 

だがなり上がっても”村長”になって、周りは”跡継ぎのカースト”でまた翻弄されているのを見るだけだ。

自身が、なんとか逃れた、だけなのだ。

 

だから”ガチャ”だ、となるのだ。親ガチャ、否定することは出来まい。せめてそこからどうやってすこしでも自由になるか、だ。

 

物事に熱中し、共同体からの承認を一度忘れることが自由への第一歩だ。

 

ここでの提案はこれである。

確かに、と思う。熱中すること、いわば”生きるための義務(と思い込んでいること)”をしばし忘れる技術、ゾーンにはいる技術、しか手がないのだろう。そうだろうか。

 

だが、個人としてその技術を得てゆくことが、まずは”よく生きる”ためには必要な気がしている。

 

はたしてそもそも人間社会がそんな結局は”弱肉強食”世界でいいのだろうか、池田晶子さんがおっしゃったような”哲人政治”のような抜本的な仕組みが必要なのではないか、などとも

 

思うのではあるが。。

(万人の万人に対する戦い、は続いているなあ、と思います。あるところで期間・場所限定の良きところはありうる気がしますが、文化は余裕がないと維持できない、と森博嗣さんもおっしゃっているとおり、なかなかパーマネントな状態は維持できない気がします。例えばルーブルを無料にするフランスの美術界隈?とかは望みあるのかなあ、とぼんやり思ったしますが。。)