今朝の体重64.3kg、体脂肪11.2%。昨晩は63.7kg、体脂肪9.7%(トレーニング後)。
ジョン・スタインベック「チャーリーとの旅」P.216
「快楽と苦痛の原則に逆戻り」
何年も前、私は孤独についていくつかの経験を積んだ。二年連続で、八か月におよぶ冬が来るたびに、シエラネバダ山脈のタホー湖で一人きりで過ごしたのだ。雪に閉ざされた冬の期間、夏用別荘の管理人をやっていたのである。いくつかの考察はそこから生まれた。
時がたつにつれ、自分の反応が鈍くなっているのに気がついた。いつも口笛を吹いていたのに吹かなくなった。飼っていた犬とも話さなくなった。微妙な感情というのが消えていたのだろう。とうとう快楽と苦痛だけを基準にするようになっていたのだ。
そこで分かった。感謝や反応の機微というのはコミュニケーションの結果なのだ。コミュニケーションがなければ機微もなくなる。何も言うべきことがない人間は言葉を失う。逆もまた真なりで、何か言ってくれる相手がいない人間にも言葉は必要なくなり、言葉を失うのではなかろうか?(中略)個性は模倣を通してのみ育まれるものなのだ。
スタインベックは「怒りの葡萄」が有名だ、ということしか知らず、その本を読んだわけではない。
ノマドランド、という映画と本を同時期に読んだ時、スタインベックはチャーリーという犬と車で長い旅をしており、その本がノマドと呼ばれる人々に愛読されている、ということで私も流れで手に取った。
スタインベックはノーベル賞を取った人物であるが、経歴がわからないので、いつものGEMINIさんに聞いてみた。
ジョン・スタインベックは、20世紀アメリカ文学を代表する作家です。
- 生年月日: 1902年2月27日
- 没年月日: 1968年12月20日
- 享年: 66歳
主な出来事
- 1925年: 『杯の中の月』で作家デビュー
- 1937年: 『怒りの葡萄』でピューリッツァー賞を受賞
- 1939年: 『冬の長閑さ』で全米図書賞を受賞
- 1962年: 60歳の時にノーベル文学賞を受賞
- 1967年: 『チャーリーとの旅』を出版
チャーリーとの旅
その他
- スタインベックは、カリフォルニア州サリナスに生まれ、幼少期から自然や動物と触れ合いながら過ごしました。
- 彼の作品は、社会問題や人間の苦悩などを鋭く描いたものが多いことで知られています。
- 『怒りの葡萄』は、世界恐慌時代のアメリカを舞台に、貧困に苦しむ農民たちの姿を描いた代表作です。
又、WIKIPEDIAによると、
晩年は国内の批評家からの評価は必ずしも芳しくなく、生活は決して恵まれたものではなかった。
とのことである。35歳で代表作を書いてしまった作家は、そのあと代表作を超えようと苦闘したのだろうか。
66歳で心臓発作でなくなっているが、チャーリーとの旅を出版して1年後である。図らずも人生の集大成の旅を晩年に行ったことになる。
自身の生涯は自身ではわからない。日々の生活を大切にしたいものだ。
66歳での死亡は、今の私の感覚だと早いように思うが、1902年生まれのアメリカ人男性の平均寿命はなんと46.3歳だったという。ただ2つの世界大戦があり、戦死した人も多かったのかという気がするがどうだろうか。以下GEMINIで確認。
1902年生まれのアメリカ人男性の平均寿命が約46.3歳だったのに対し、ジョン・スタインベックは66歳まで生きたわけですが、確かに彼の生涯は第一次世界大戦(1914年-1918年)と第二次世界大戦(1939年-1945年)という2つの世界大戦に挟まれています。
では日本人で1902年生まれの男性平均寿命を調べると、44.2歳とのこと。こちらも戦争の影響が大きいだろう。
100年ちょっとのあいだで、人生45年(信長の50年、というより短い)から80歳、というところまで変化したわけである。
いずれにしても、スタインベックの66歳没、はあまり早いわけではなかったのだ。
そうすると、自身の周りでも同年代の人々が亡くなっているなか、最後の旅となるかも、ということもどこかでほのかに思いながら、一人で犬を連れて旅に出たということだろうか。
引用した文章に記載があるとおり、冬のあいだ別荘の管理人をやったり、とノーベル文学賞受賞者ではあるが、そのことで大金持ちになったわけではなく、むしろWIKIPEDIAの通り「有名だが金がない」という状態だったのかもしれない。
だがその経験が、時を経て同じくアメリカでアマゾンの配送などをやりながら車中で暮らす「ノマド」の人々のバイブルになっている。
なんというか、スタインベックの魂が、受け継がれている、という感じを受けた。
(犬と車で旅する、というのは、私もなんだかやってみたいですね)