我々が住んでいる日常的感性的多者界においては、全ては生滅成壊して一瞬も止まることはない。(中略)故に人はこの「動」を唯一の手掛かりとして、それをつたわって現象界の彼方に超出し、存在の本源に至ることができる。
井筒俊彦 神秘哲学 P.50 岩波文庫
すなわちヘラクレイトスの「調和」は存在の超感性的最深層における動の真姿であり、「動」きわまって「静」に転する動性の極地に外ならぬ。
井筒俊彦 神秘哲学 P.51 岩波文庫
時、という発見された概念=考え方を一旦忘れてしまえば、「動」と「永遠」は見分けがつかなくなる。
というよりは本質は同じ。
永遠に動き続けることを含んで「静止」が去来する。あるいは、動いているは「止まっている」と同義。
自身の存在が「時に蝕まれて」劣化して消滅する、と生を仮定してしまうと元気が出なくなる。
力、は肉体から精神に移動する可能性を含む。その豊穣さを想え。
雲散霧消するやもだが、それはそれでよし。
(今日の戯言(笑)です)