すっかり完治したような気になっていた花粉症に悩まされている。
まあ、東京に来たという変化があるし、もしかすると違う花粉に対してあたらしい反応が出ているのかもしれないが、
鼻がずるずる過ぎてたまらなかった。
で、家にこもったのだが、まったくずるずるだ。
前日の花粉がいけなかったとは思うのだが、ふと気が付いて「24時間換気」が問題かも?と思った。
今住んでいるワンルームは、24時間換気をしてください、ということになっていて、風呂の湿気を飛ばすためにも「なるほど」と思って励行している。
だがなぜこんなに部屋の中でクシャミが出るのか!!
出すぎだろ!!
という感じだった。
そうか、換気されると外気が中に入ってくるわけで、それはエアコンも同じだろうが、フィルターもないかもだからやはり換気があまり良くない気がする。
ワンルームなので、洗面所も兼ねた浴室の扉は基本開けっ放しである、そうかすると花粉が部屋に充満するのか。
部屋が乾燥している感じもよくないだろう。なんとなく湿気が高いと花粉が湿気で地面に落ちる感じがするが、乾燥していたら部屋の中に渦巻いているのだろう。
ということで、今度は乾燥は一度やめてみるか、洗面所のドアを開けっぱなしにしないことを、試してみたい。
今上野の東京都美術館でエゴン・シーレ展をやっていることを知った。
1890-1918、享年28歳、妊娠中の妻が罹患し死亡したスペイン風邪に、自身もかかり3日後に死亡。
語感として「風邪」がつくと、致死性の病という感じがしない。
しないが実際に夫婦で死亡しているのを見ると、大変危険な病であることがわかる。呼称による印象、というのは大きな要素だ。
いまであればコロナを「コロナ風邪」と呼ぶようなものだろうか。
至高の感性は宗教と芸術である。
自然は目的である。
しかし、そこには神が存在し、そしてぼくは神を強く、
とても強く、もっとも強く感じる。
1911年、21歳の時のシーレの言葉だ。
このような魂の籠ったつぶやきなどを読むにつけ、いわゆる西欧の人々の間にある「神」というものの存在について考えるというのか、感じるものがある。
勿論、ここで「仏」や日本でいう「神」ということもあるだろう。
だが、なんというのだろうか、普通の人の世界の、心の彼方に自然と出てくる「神」というもの、そのありかたは感覚的にはすこしここ日本のスタンダードと違っている気がする。
まあ、呼び方がちがうだけで、受ける感動は同じ、ということかもしれないが。
(まだ会場には行っていませんが、一度行きたいですね)