夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

清貧の思想。

本日の体重67.7kg、体脂肪10.8%。

昨日は昼に大変量の多い定食を満喫した。ごはんは普通盛りでもそこそこ多く、中盛りで山、大盛はまさに富士山のように盛られてくる(らしい)。

昔ならトライするところだが、最近は大盛りやお代わりや食べ放題はなるべく避けるようにしている。

それでも昼食を食べ続けているうちに(今週は5日すべて出張だった)、体重はベストの63キロから4.7キロ増えてしまった。

昼食を食べずに4000歩ほどあるいていれば、体重は徐々に減ってくる(はずだ)。まあ、体重が増えても体脂肪が悪くなければ、とは思っているが、夜は10%以下でも同じ体重で朝は3%位多くなるので、本当の体脂肪率がよくわからないのが悩ましいところだ。


私が何が嫌いといって「清貧の思想」ほど嫌いなものはない。カネはあればいいものです。なぜなら、カネの最大の効用は、それが時間とプライドを与えてくれるからです。セコイことにこだわることなしに生きられるからです。
中島義道 「くれる!」

 

自らがそとから受ける評価を自らが「勝手に」決めている姿は、醜いものだと感じるし、押しつけがましいと感じる。

清貧、という言葉は、自らが「そとから見て清い」と「勝手な評価をしている」わけであり(本人はそのつもりはなくともこちらはそう思う)、その時点で「めんどくさいな」とアラームが鳴る。

その時点で個人的には「清貧」というコトバは嫌いなのいだが、中島さんがおっしゃる「貧たることを誇る」「貧であることを押し付ける」という要素もある。

オレはいいことをして居るので、教えてやるよ。

この押しつけ感が嫌である。

カネ、というのはむつかしいものだ。その存在がまず、持つものと持たぬものを端的に区別する。差異を示さずにはおれないのだ。

カネとは、比較をすべからくあなたや私のココロにもたらすものである。

これは「カオ」とも似ている。

不都合な真実として「結婚はカネとカオの交換」という言い方がある。

まさに露悪的であり、身もふたもない、聞いて不快となるコトバだと思うが、一面の真実をダイレクトに示してもいる。そして、「そうではない結婚は結構いいかも」という気づきさえもたらす、という効果もあるかもしれない。

カネは、やりかた次第では稼げるかもしれない。
カオも、今はカネでの整形が結構効果的である気がする。

だが、直截すぎる追及は、すこし魂を棄損する気もしないでもない。

話がずれてきた。

 


カネがもたらす、本音の安心を「恰好をつけて」否定するような思想が嫌いである、とする中島さんの感覚には合意する。一方でカネのもたらす、カネが喚起する「エゴ」=人より勝っているかのような感覚、には十分に注意すべきであろう。

(やはりこの人間界で過ごすときにカネが必要である、ということをことさら忘れようとするのは難しいですよね。まあ、とらわれすぎるな、という教えだとは思いますが)