今朝の体重64.9kg。体脂肪率12.7%。うーん。
昨日は散歩途中で24時間ジムへ行った。引っ越し関連でバタバタしており、毎日の運動という意味では歩くのがせいぜいであるが、久しぶりに懸垂、腹筋、すこし重量を行えたので、やることをやれた、というすっきりした気持ちである。まあ、とにかく下っ腹がぶよぶよする事態だけは避けることを最低目標としよう。
永遠とは、この知性・感覚の世界におけるわれわれの日常の体験であって、この時間の制約の外に永遠があるのではない。永遠とは、生と死の真只中、時間の進行の只中においてのみ可能である。
鈴木大拙 「禅」 工藤澄子訳
永遠ということばに接すると、まず今ここで私は流れる世界、諸行無常の世界に翻弄され流されているのであり、そことはとにかく違った世界での事象である、と感じるのが普通であろう。
この世界のしんどさとほほさの所為もあろう。この世界が続くわけがない、という諦念というか予感というか、その感覚のためでもあろう。
そこを見据えて転換する心をもつことこそがすなわち「禅」が提示したわかりやすいすばらしさである。
今が永遠である。
今しかない。
今ここ。
すなわち個はすべてである。
全ては個である、あるいは個はすべての一部である。
なんというかそういうような感覚を、納得は別にして知ることは、悪くはない体験である。
もちろん「そんなわけあるかいや」という感想だってあるだろう。
それもまたよし。
そういう感覚もふくめて「世界」。
そういう感覚をふくめて「今」。
そういう感覚を含めて「永遠の全」。
という感じでありましょうかな。
(永遠。。。とつぶやくだけでちょっといいですね←どこがや!!(笑))
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