森博嗣さんの文章は、なんというか直截の力がある。ひねらず、直球で、真実をあからさまにさらす。それでいてどこか暖かい。
そんな魅力があると思っているのだが、この文章もなんとも含蓄がある。
お金、というのは見栄やエゴにまみれやすい。複雑に見えるし、その存在に圧倒されるし、生きることを左右するなんだか「神の道具」のようにも思えてくる。
森さんはこうした変な怯えや思い込みを指摘してくださっている。エゴというものはとにかく「宿主」であるこの「個体・個人」が生き延びれば、善悪は元より関係がない。
なので、ネガティブな気持ちであっても推し進める。ネガティブに悶絶することで、生を「負に満喫」できるからだ、と思っている。
まあ、生きているからいい、というエゴの特性を知れば、いや、負の満喫はいいですから、といいたくなる。できればPOSITIVEな満喫をお願いしたいではないか。
エゴはかまわない。いや、負でもなんでも、宿主が生きていけばいいのである。
ここのところが、難しい。
金とはエゴがまみれる、エゴの一番身近なお友達だ。なので、金を汚らわし、という感覚も生まれやすい。汚らわしい、と思っていれば、それに翻弄されるリスクが下がってくる。この心境もまた、エゴのなすところのものだ。
森さんの文章を読むと、エゴにまみれた汚泥の中の真珠のような、金というものの、いや「お金」といっておこうか、お金の真の力が垣間見える。
それは、正しく見つめれば、自らを高め、将来の変化を助けてくれる力を持つ。だがエゴや見栄でお金を見つめると、それは覿面に「カネ」に成り下がる。いわゆる「カネにオンナ」などとカタカナでいやらしく書かれる、あれである。
「お金」により、我々は機会や時間や健康にアクセスできる。だが魔法の呪文(スペル)の如く、出た力を白魔術で運用しなければならない。黒魔術として使うことが、あまりに容易であるのだから。
ご用心、ご用心。
(ついつい酒や課金に。。。いかんいかん(´;ω;`))