夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

「哲学的思惟の根源に伏在する神秘主義的体験」について。

タイトルはムック「井筒俊彦ざんまい」に収録されている井筒氏の弟子筋にあたる牧野信也さんが井筒俊彦の学問の根源に流れるものとして認識されていることだ。

こうしたことはつらつらと思い出すに、さまざまな私の敬愛する人々にも起こっているようだ。

たとえばユング。地底に分け入ってそこに男根と思しき先頭に一つ目を頂き虚空をにらむものを夢に見たことをずっと抱えて生きたと思われる。

そして小林秀雄ベルクソンなどを挙げるでもなく、例えばプラットホームからの滑落や生命の危機にあったときのかずかずの神秘体験をさりげなく書いている。

またルドルフ・シュタイナー。巨大な幻視力を備えていた観があるが、幼少のころ列車の待合室でそこにいるはずのない叔母の姿をみるが、あとあと同時刻にその叔母が亡くなっていたことを知る。

そして井筒俊彦。年表によると幼児期の教会でどうしてもその教えに馴染めず嘔吐するが、そののちキリスト教への興味がたいそう深まったという。

人生のなかでそうした「自身の中でまぎれもなく体験した、してしまった神秘体験」が、そののちそれが一体なんであるのか、ということでずっと気になって探求する、という事があるのだろうと思う。

さて翻って私の場合。

見事に全くなにもない。

 

せいぜい怖い物見たさに「日野日出志」の漫画を覗き読む程度だ泣。

 

心霊写真もない。霊体験もない。とにかくなんにもないのだ。夢でも特段ない。幼児期は教会にいったが、そこで貰うカードやアイスキャンデー狙いであった。。。。

 

まあ、一般的にどれほどの方がこうした経験を経られているかだが、なんとなくだがそれほど多くなくともいくらかの方がそうした経験を経られているような気もしている。

まあ、実際にみてしまったら、あなた。

そらあ、考えますわな。それがなにか。

 

まあ、そうしたことに縁がなければならないというわけではない。その分、といっていいのかどうか。多くの素晴らしい絵画というか絵に接して、心動かされることがある。その経験こそ稀有のものだ、という気がしている。

もちろん何でもいいわけではない。どちらかというとマイナーというか、アカデミックなものではない。まあ、すごくマイナーというわけではないかもしれない。(ラファエル前派とかですから、対象は)。

まあ、それはそれで、と思っているのだ。

(性格判断でも3次元情報より2次元情報が一番自分に合っている感じですので。。。)