夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

おもいつかない。個人的三上の内の一である風呂の欠損について。

暑い中をスーツ上下でうろうろするのが私の夏定番、

ではあるが、真昼であればやはりもうふらふらするレベルだ。

昨日は14時から17時までサイゼリヤにいた。今まではワインデカンタなどを飲んでいたが、初めてに近い形でランチセットにフリードリンクを付けてみた。

結果は大正解、水とカプチーノを飲みまくった。とにかくカプチーノは美味い。飲み放題は田舎のミスドではミルクティ飲み放題であるが、繁華街では違う。そういう意味ではサイゼリヤの飲み放題はとにかくコスパが良い。

昨日は休暇を取って名古屋の栄と呼ばれる地区に行ったのだが、とにかく暑かった。結果体重は63.8キロ、体脂肪率も8.7%(帰宅時)となった。やはり寒い時期は太り、夏は暑くて痩せる、というパターンが出来てきたようだ。

さて、この日記というかブログというか、このページであるが、どちらかというと朝風呂桶にまあ10分弱浸かっていると(漬かっている、という字も使いたいが)、なんとなく心がフラフラと彷徨いだして、なんらかの現在気になっているテーマが浮かんだりする。

これは別に時事問題などだけではなくて、例えば絵の構図やアイデアであるときもある。そしてなんとなくここで、「今日ブログに書くテーマ」が浮かぶことが多いのだ。

クリエイティブな空間・瞬間・時間として、「三上」というものがある。普通は馬上、枕上、厠上となっているが、個人的には馬上は電車とすれば納得、厠上もまあまあなっとくながらついスマホを持ち込むとクリエイティブにはなりきらない面がある感じ。枕上についてはふつうはそうなのだろうが睡眠時間不足で個人的いはバタンキューが多いのでいまいち実感がない。

その代わりなのが「風呂」である。もともとは中国古典から来ているので、日本のように湯舟に浸かることはあまりなかったと思われるのだが、私の場合は一番「こころが漂いやすい」のがここだ。

まずはふつうはスマホを持ち込まない。体があったまっていつもとは違う感覚に浸っている。要はリラックスしているわけだ。

多分このリラックスが、深層心理にアクセスしやすくなっている感じがする。

そこからはなんとうか、様々な日常がぶち込まれた鍋のようなもので、そこから強く、あるいは深く印象を受けてはいるが、きちんと把握していない物事などがゆらり、と立ち上ってくる。

無理やり引っ張り出すのではない、この「ゆらりとした立ち上る」感覚こそがなんというか、気もちいいのだ。

 

いいのだが、この暑い時期、我が家では湯舟に湯を張らず、シャワーで済ませている。勢い、ぼんやりゆったり、という時間がうまくとれなくなる。

するといろんなアイデアがあまり出てこないわけだ。

 

湯舟に浸かることがない国々では、いろいろその国での「三上」があるのだろう。馬上や厠上はだいたいあるはずだ。勿論枕上も。

だが湯舟に浸かる、湯上、というとよくわからなくなるが、そんな国独自のリラックス法が、多分いろいろな国であるのだと思う。

(湯上、したいなあ。。。)