夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

じじいはよくて、じいじは嫌だ。

人は自らをどう呼んでもらいたいか、という問題に結構振り回される。

たとえば祖父母の呼び方。

現在一番人気があるのは「じいじ」「ばあば」であろう。

これはなんとなく意味が分かりつつ、語感が良いため呼ばれても嫌な気分になりにくい、ということであろう。こういうものは時代によって変わるものだろうが。

だが、「わしのことは”じいじ”と孫に呼ばせてくれ」という場面を想像するに、個人的にはとても嫌な気分がする。

 

これは「自らのことを敬え」ということと地続きだからだ。

 

いや、呼び方位で敬う敬わないなんて大げさな。

 

そう思う方もいらっしゃるだろう。

であれば、好きにされればよい。とにかくプライベートな世界の話だからだ。

だが、個人的には、嫌だなあ、と思うのだ。

なぜだろう。やはり「自己評価の押し付け」だからだろうか。

 

評価はどこまでも自主的であるべきだ。理想論かもしれないがそう思う。そういう意味では、呼ぶ人が「じいじ」と呼びたいのであれば格別だ。

だが「自称」が「じいじ」!?

 

個人の趣味だが、個人的な意見を言わせてもらうと「虫唾が走っている」。

いや、言いません。決して相手に言いませんがしかし。

虫唾、走るなあ。

 

なぜかなあ。

 

自分をよく見せたい、という想いが相手にある、と認識するからだろう。

本人には全くそんな意思はないにしろ。だがなくてもそれはそれで。

 

言葉に対する感覚がニブすぎる。デリカシーがないなあ、と思ってしまう。

 

まだ、露悪的、である方がいい。

 

いやあ、じいじなんてたいそうなもんではありませんのじゃ。ワシのことはここはひとつ、本音で「じじい」とよんでおくれ。

 

そんな風に言える老人が、ひねくれた私の今の目標である。

(意固地ですみません。。。)