夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

ウパニシャッドと自然なネガティブ感情への対応。

今朝の体重65.7kg、体脂肪率14.1%であった。筋量は53.1kg。これは近来ワーストかもしれない。筋量UPできない場合は減量が必要だ。幸い暑くなってきたので、「真夏にスーツダイエット」(真夏なのにスーツ上下着続けること)の季節ももうすぐだ。

さて、前の日記に、自然と心に沸き起こる感情を改めて「これはなんだ」「これはいいのか」といった第3者の視点を持ち込んでみる試みのことを書いた。

すこし気にしてみると、こういう自然感情はどちらかというと自分勝手でネガティブであることが多い。

・周りのしゃべり声がうるさい

・仕事中に電話の声が気になる

・声質が通り過ぎる声がうるさく感じる

会社で仕事をしているのであれば、当たり前に起こる場面で、観察するとこうした感想を自然ともっている。

だが、第3者的に見ると、「それらのことがらにネガティブに感じていることに対し、それくらいガマンせなあかんで!と突っ込んでよりネガティブになってゆく自分」もいるようだ。

こうした自然な感情は、考えるにコロナで在宅者が増えて、静かな環境でいることに慣れ、静かな環境と五月蠅い環境では前者の方が自然な感想であり(寂しい人もいるかもですが)、仕方がない、といえる。

そして例えば在宅であれば、外がうるさければ音楽掛けたりしてごまかせるが、会社であればそれも困難である、ということもあるだろう。

自然、「じりじりと我慢し続けている自分」が出来上がる。

だが、その我慢は必要だろうか。

 

いろいろな対策が考えられるだろう。

例えば在宅が多くなったことで増えたWEB会議用にヘッドホンを会社でも利用するようになった。これをただかけているだけでもすこしは遮音できる。

気になるのを我慢するのではなく、気になるのはふつうだと思う。

気になる自分は我慢がたりないわけではない。

 

と思ってみるような。

 

ブリハッド・アーラスヤカ・ウパニシャッド

中央公論社「世界の名著」 服部正明訳 第4章第4節から。

この身体内の洞窟に潜むアートマンを見出し、確認した人は、万物の創造者。ー彼は一切を作り出すから。世界は彼のものである。否、彼は世界そのものである。
まことに、この偉大な、不生のアートマンは、不老、不滅、不死、安泰であり、ブラフマンであります。

このウパニシャッド哲学の位置づけを高橋巌さんはこうおっしゃっている。

ウパニシャッド、サンチャ哲学およびヨーガは、神秘学の三大分野である宇宙論、人間論および霊的認識の方法に相応しているといえるから(後略)

神秘学序説 イザラ書房 P.84

この「三大分野」は人間を「肉体、(表面的な)精神、魂的な本質」の3つに分ける考え方とも照応しているだろう。

そしてウパニシャッドは、この「各人の心の奥底にある本質的なもの」こそが全体であり、「この世」をも含む一である、という転換を示しているのだが、最近見ている西洋、東洋の考えかたの奥にはこの考えの類型がいろいろなところで見られるように感じている。

そしてその考えを、キリスト教は異端、と認定した。今のキリスト教はどうなのだろうか。

(いやなものは嫌と感じていいのですね。そして感じている自分が残念な人間だ、という2重の呪いに気をつける。日々の暮らしで気を付けるべきことかもしれませんね。心の平安のため)