夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

インプットだけではだめ。

さて、今朝朝食後体重を測ってみたが、65.1kgと食後としては軽めであったが、体脂肪率がなんと14.6%。筋量53kgくらいであったか、これだと体脂肪率10%を目指すのであれば、体重は63キロくらいでなければならない。

一喜一憂しない、といいつつ、10%くらいで推移していたのにこれはやはりあまりうれしくはない。更に言えば、この数日暖かかったので、昼のトレーニングでもなんとなく力が出るなあ、と気分がよくなっていたのにだ。

まあ、体重計の精度や、時間によっての体調変化が体脂肪率に影響することはわかってはいる。トレーニング前後で測った時、トレーニング後になぜか体脂肪率が上がっていたりもする。

だが14%オーバーというのは、この5年位なかった気がする。コロナにかかったときの免疫を考えて絞りすぎないようにしていたが、徐々に落とすタイミングかもしれない。

と、いつものモノローグを経て、今日の森博嗣先生語録。

(自分の技、技術に関し)結局、小説に限らず、他の芸術であっても、それを自分で制作する場合はプラスになるが、それを見たり読んだりすることでは、得られない、という理屈になる。もう少し抽象的にいえば、アウトプットするほど上達する。インプットでは太るばかりで身は重くなり、動きが鈍くなるだろう。
繰り返すが、とにかく自分の目で見ること、そして自分の見たものを、自分の頭で考える(処理する)こと。創作の独創性はこれに尽きる。
本当に「自分の目で見る」ことは、冒険あるいは挑戦である。

森博嗣 小説家という職業 P.170 集英社新書 

ここで膝を打ったのは、「インプットだけでは太ってしまう」ということ。幼少時よりマンガ好きで、「いつかあんなマンガが描きたい」と思っていた。そして膨大なマンガや本を、「いつか役立てよう」と思って持っていた。

だがアウトプットがなかった。そもそもどのような手段でアウトプットするか、というところでずっと引っかかっていたのだ。

インプットは必要だ。言えばつまりは大地の肥料のようなもの。だが肥料ばかりで種も木も植えなければただ肥沃な大地が出来るだけだ。肥沃であればまだいい。栄養過多で腐ってくるようなことがあったら大変だ。

まずはアウトプットしてみる。すればするほど、わかることもあるだろう。

例えばこの日記。一日どこかで不注意で中断したが、ほぼ毎日なにかをアウトプットしよう、という目的で書いている。愚にもつかない身辺雑記であるが、とにかく書く。

絵もそうだ。銅版画を始めたのはもう6年位前になるだろうか。なんとか作り続けている。日々なにかいい画題はないか、という発想で過ごしている。いつか自身に納得のゆく絵を描きたいものだ、と思っている。

その時に、他人と同じものを作ろう、と思わないこと。もちろん肥料として入手するのはいい。だが同じものを作ろう、という意識もいっしょに出てきがちなのだ。その点についても、森さんはよき助言を下さっている。

新しいものを提供しよう、と森さんはされてきたという。

自分にとって、新しいものはなんだろうか。

今はまだわからないが、書き続け、描き続けてゆく。

 

そのことから、うすぼんやりとそういうことが出てくるような気がしている。

(再読ですが、いつも新しい気づきを頂いている感があります)