夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

自虐と本音と悪口の境界線。

僕としては、自分の趣味は「好きなもの」というただ一つのジャンルなのだが、彼女から見ると、多趣味で飽き性、と映るようだ。
森博嗣 小説家という職業 P.31

本日昼食後の体重66.7kg、体脂肪率7.9%。昨日は10日ぶりにスポーツセンターへ行った。寒いと比較的重量にトライできるのはなぜだろうか。

これは多分、寒いと「体を温めたい」という欲求があり、モチベーションアップにつながるが、夏で暑いと、「さらにあつくなるのか、嫌だなあ」という内的感触があるからのようだ。

特にコロナで夏でも換気がされていると、冷房は効きが悪くなり、自身が汗臭くなったり、より暑くなることでだるくなることが経験としてあるわけで、そのことがモチベーションを下げるようだ。

それ自体はどうしようもない。寒い冬に限界まで挑戦してベストを上げよう、というのが良いように思っている。

今週も木曜は通常であればスポーツセンターへ行く日なのだが、通院があるので、ちょっと難しいか。まあ、月に1回なので、割り切って歩く日に切り替えてはいるのだが。

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私は自虐が好きだ。自虐も難しくて、これがもし「人の平均より客観的に出来ている」と逆に自慢と聞こえる。これほど醜いものはない。なので、自虐は難しい。どちらかというと「失敗自慢」位がいいだろう。

本音開示、というのも、人との距離を縮めるにはいい方法だ。だが、その本音に「他人に対して感じている本音」が入ると、どちらかというと「悪口」になる場合がある。その他人の行為が仮に本当に残念なものであっても、本人が精いっぱいやっていたり、現在の経験や能力でどうしてもできないことを「本音でばっさり」行くとそれは聞く人によっては悪口や自慢に聞こえるのだ。

なので、人の「批判」ではないと自身が思っていても、それは取られようによってはあきらかに批判だろうそれ、とか、逆に自分ができるということが言いたいのか?という気持ちになってしまう。

そう考えると、「本音開示」は有効ではあるが、危険な行為でもある。なので、ここで登場させるべきは、「それは本当に残念だね」と完全に言われる「自虐」であろう。自然厳選したネタでなくてはならない。そして厳選しつつ、「ついいっちゃった」という雰囲気も大切となる。

とにかくとても大変なのだ。ストレスになる。

魚が水を泳ぐように、そうした関係性をうまく構築できるひとがいる傍ら、そうした気の回しが生来苦手でストレスとなる、という人もいる。だが、私が観察するに、特に女性同士の会話ではそのような面が強いのではないだろうか。

ここで性差をいうのが適当かどうかはわからない。昨今は「男」「女」と書くことだけですこし緊張する。

だがどうやら女性はそうした情報交換で、知らないもの同士での即席の意識共有空間を作る場合がおおいのだが、男性同士では場合によるだろう。私はどちらかというと苦手だが、これは改善していきたいと思っている。

まずは「自虐ネタ」で。

(自然にね(笑)。冒頭引用の森さんの文、とにかくそうだよね、とそうだったのか、が同時に来ましたのでつい引用。こういう感覚を「目から鱗」というのでしょうか。鱗とは「思い込み」ですね)

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