夢見るように、考えたい

池田晶子さんの喝、”悩むな!考えろ!”を銘としております。

007 ノー・タイム・トゥー・ダイを見た②.

さて、今朝の体重は65.4kg、体脂肪率は12.1%であった。まさに危険信号、であるのだが、先週はずっとチート・ウィークであったのだ。

まずは週2回出来れば行こう、と思っているジムに行けなかった。理由は出張と病院。まあ、仕方ないのだが、いけていないことは事実。

そして接待。出張に接待と日常に戻ってきているが、これはつまり、たくさん食べてたくさんアルコールが体内に入ってくる、ということだ。

いやいや、節制すればいいでしょう。そんな声が聞こえてくる(どこから?)。できない。できないのだ。

なぜか。これは多分、自身で編み出した「会社生活ライフハック」が飲みだからだ。

私は営業が長かった。そして、たぶん、人との付き合いがそれほど好きなほうではない、本質的には。なので、仕事であればそんなことは言っていられない、仕事であれば好き嫌いは言ってはいけない、そういうモードになるわけだ。

中途半端に好きであれば、通常のスタイルを仕事にもってゆくこともできるだろう。だが普段はほとんど飲まない私が、仕事であれば飲まねばならない。つまりは「飲み会は仕事」。これである。

とにかく、飲みまくる。注ぎまくる。どちらかというと逆だろうか。注ぐためにまずは飲む。飲んでみせる。飲まずに注ぐわけにはいかないのだ。

そして食べまくる。注文しまくる。皿を片付けまくる。とにかく、忙しい。

そして喋りまくる。酔ってもいい、むしろ酔うほうがいい。本当に酔いつつ、しゃべる内容は一応コントロールする(希望)。この間合い。

まさに感情労働だ。

そのうちにランナーズハイのようになってくる。酔うのと相まって接待ハイだ。自分が勝手に楽しんでいるのか、接待しているのかわからないような感覚。だが本質は接待。自身がこのように楽しんでいる部分がきちんとあることで、仕事での飲みに一抹の「ほんまに楽しいやん」という感覚が生まれてくる。

多分、そのことが相手先にも伝わるのだ、と思っている。こいつは無理して接待しているが、最後は自分も楽しんでいるではないか。そう思ってもらうことが肝要だ。

そういう境地を目指していると、めちゃめちゃ飲むことになる。めちゃめちゃ食べることになる。大体2キロは翌日太っている。

このスタイルでやってきた。自身の性格を省みて、これは集団生活(=サラリーマン)に向いていなさそうだ。大学1年のときそう思った。なにしろ、本当は文学部で文学か、美大で絵を描きたかったのだから。

これは意識してスキルを持たねば苦労するぞ。そう思った。私は運動が苦手だ。子供時代から野球やサッカーをやったことはほぼない。そのことで子供社会では絡まれてきた。その時に出すのが磨いてきた「相撲力」そして「密かに鍛えようとしているキモさ」である。近寄りがたさ、といってもいい。

野球はできないが、なんだか毎日アンクルウェイトを付けている不気味な奴。そんなキャラでやってきた。そこで学んだこと。社会に対するにはなにか意識して技がいるぞ。自然に身に着くタイプでは、どうやら自分は無いようだ。

飲み対応も、いわば小・中学校時代の「相撲力」、高校時代の「密かに鍛えるキモさ」に次いで、採用することにした後付け機能なのだ。

高校時代には、キモイ奴、という認定では寂しすぎるので、追加で「毎日補助バッグに漫画を満載してきて読みまくっている奴」というキャラも採用している。どうせ毎日漫画を電車で読みまくっているのだ。そして漫画のレンタルで友達が広がった(楽しかった)。

話がずれた。だがまあ、苦労して社会人としてなんとかサバイブするために自身で勝手に編み出した選んだ「飲み力」であるが、これの欠点は太る事、とアルコールを飲みすぎることだ。

ああ、健康が心配だ。

えー、昨日は007の映画のことを書いた。飲み会のことばかり書いているが、タイトルは「ノー・タイム・トゥー・ダイ②」としてしまっている。少しぐらいは、そのことも書かなくては。

えー、タイトルがこうして英語になると、とにかくイメージがわきにくい。一応自身の脳髄、という能力不足の翻訳コンニャクを起動させると、「死んでる場合じゃない」あるいは「今は死ぬときではない」ぐらいではないのかなあ、とぼんやり思う(ここで英語に堪能な方は笑うところですね)。

だが同じクレイグ版ボンドの、「慰めの報酬」にしても、なんだか意味が分からない。これは英語にするとまったく日本人にはなじみのない言葉過ぎて、無理やり日本語にしました、という印象である。これは誰が慰めて、だれが報酬を払うのか。たぶんオルガが払うんだと思うのだが。わからない。

旧007では「ワールド・イズ・ノット・イナフ」も意味が分かりにくい。自分にとっては、世界をくれるといわれてもそんなんでは不十分ですよ、という意味だろうか。嗚呼、わからない

まあ、ニュアンスがわからないのだ。その言葉によって醸し出される感じが、わからないのだ。

(えー、肝心の映画にはまだたどりつきませんが、今日はこのあたりでご勘弁ください)