今朝の体重は朝食後で65.8kg、体脂肪11%。今までやっていなかったが、朝食前後で測れば、朝食でどれくらい体重と脂肪がデータ上で増えるかがわかるわけだ。明日やってみよう。
金食い虫と時間くい虫があるのだが、アマゾンプライムやネットフリックスは従来のTV以上に依存性が高いだろう。
若い人がTVを見ないというが、これは切り口が違っている。若いひとが腕時計をしない、というのと同じ次元で切り口が間違っている。
TVとはコンテンツ。ドラマがあればバラエティもある。映画もある。アマゾンプライムもYOUTUBEも同じコンテンツなのだ。課金する(TVは間接的にだが)先を一番本人が面白いと思うコンテンツにするのは当たり前。金と同時に貴重な時間も投資するわけだから。
その時にはTVもユーチューブもアマゾンプライムもほぼ同じ比較対象である。どれが、面白いかだけなのだ。
マンガも映像も小説も、他人との会話も仕事も、人生のなかでの「どこで時間を使うか」というコンテンツなのだ。
いや、仕事は違うでしょ、という感覚があるかもしれない。だがどれだけ金が必要か、という点は恣意的に選択するものだ。本質的には同じである。
少ない金で時間と最低限の健康を購入する。そのための必要な稼ぎ額が出るわけだ。
TVは時間効率が微妙ではある。建前はスポンサーはCMを見てほしい。だがビデオにとられれば見られない。スポンサーはTV局に金を払わなくなる。
YOUTUBEも無料だとCMが消せない。これはある意味TVと同じ。だが課金で視聴者がダイレクトにCMを削除できる。この直接性は簡単であるがゆえにTVにとっては脅威だろう。なにしろビデオに録る必要も、早送りも必要ないのだから。もちろん削除に必要な金額次第。これは視聴者の財務状況次第だろう。
アマゾンプライムも侮れない。私はもともとアマゾンプライムに入ろうと思って入ったのではない。知らない間に入っていた。そして金額を知り、無料映画の内容に驚愕し、継続しているわけだ。
映画がこま切れで、個人の隙間時間に見られることがいい。私は通勤時に歩きながら見ることが多い。一駅多めにあるくことで歩数を増やし、ながら視聴でエンタテイメントと健康を同時に求めているわけだ。もちろん、集中しすぎは危険だが。
音声で本を読む、ということもトライしたのだが、現状どうも歩いているとデザリングの接続が切れて切れて、ガジェットを確認する手間が大変である。これは多分何らかの形で改善できるのだが、いまは映画を見ちゃっているので、とりあえず次回満ちてきたら検討するつもりだ。
この、満ちる感じが結構物事に取り組むときに重要なのだ。
そして、満ちるために必要なのは、「睡眠」だ。
「やる気がなくなったら眠る」
この繰り返しこそが私たちの心身を救うわけです。朝活もほどほどにしないと睡眠時間を奪いますし、また朝一番のやる気を朝活でほとんど使い切ってしまって、残りの時間はたいしたことができないという事態にも陥りかねません。朝一番に行うジョギングについても、賛否が両論なのはそういう理由です。
勝間和代さんがおっしゃる通り、眠気があるとやる気はない。朝一で一番のやる気が出る。私はこの時間をインプットやら絵を描く時間やらに当てている。
私が4時に起きる、というのは早すぎるし、睡眠時間は多くて6時間だ。これはもしかして少なすぎるのかもしれない。昼間やはり眠いのだ。夜は頭が働いていない。
実は私は中高時代からこんな感じであった。通学に4時間かかる。10時に眠くなる。5時に起きなければならない。若い時に睡眠7時間はやはり短すぎるだろう。
なので中高時代は体調があまりよくなかった。家ではもう眠いだけ。なので、主に宿題や暗記は電車の中でやっていた。
4時に起きて、7時に家を出る。3時間もなにをするのか、といわれるがこれまた贅沢に過ごしている。「やるべきことをゆっくりやっても時間がふそくすることはない」という気もちが、なによりも精神衛生上いいわけだ。
勝間さんは借金や心配ごとがあたまのリソースを奪う、ということをおっしゃっていたが、これまたなるほどである。なにかあると確かにずっと頭のメモリーを食い続けているし、その部分の脳は停止しているイメージである。なので、仕事などの心配ごとがあっても、起きて1時間は想起せず、次の1時間で風呂に入り徐々に心配ごとを考えだす感じだ。朝こうして考えるので、前日帰宅後は一応忘れていい、という風に脳に指令をだせるのだ。
そして残りの1時間で朝食とトイレ。長すぎる?私もそう思う。
だが1時間を当てることで、朝食を準備して食べてそして洗えるようになった。前は放置だったが。トイレでは汚いのだが新聞を読める。時間に余裕があることで、記事が頭に文字として入ってくる。
ということで最近はずっとこのルーティンだ。
精神力、やる気というものは、充電と一緒で消耗する、補充には睡眠しかない、ということもおっしゃっているが、これも考えるとその通りだ。補充できたように感じるのが「食事」ということだが、これもそれに頼りすぎると、太るし、体調が中長期で乱れてくる。
瞑想などで回復するという感覚もあるが、これはいわば「充電切れへのとりあえずの応急処理」という感じであろうか。
気もちだやる気だ、という唯心論?から、身もふたもなく睡眠で充電、という唯物論への宗旨替えが、どうやら必要なようである。
(運転なども眠いのは本当に危ないですからねー)